■事務局ひとり言■
暮情の海 北海道 稚内市
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●命日

9月半ばは父の命日だった。亡くなったのはもう40年以上前のこと。その日、わたしは4歳下の弟と二人で上野駅から電車に飛乗り故郷へと急いだ。空を見上げると真っ赤な夕焼けだった。妙な胸騒ぎがした。駅には迎えの車が来ていたが、病院の方へは行かずそのまま帰宅。父はすでに亡くなっていた。死因は脳溢血。50歳だった。

いつしか父の年齢を越え、最近は父をなつかしく思い出す。父は故郷の山河に還りそしてわたし達を見守ってくれている。若くして逝った父は無念だったのか、それとも幸せだったのか、今頃になって父の気持ちを確かめたかったりする。

父は釣りが好きだった。夏には夜明け前に川へと出掛けた。毛針釣りが好きでオイカワやハヤを釣り上げるのが上手だった。大きな魚篭がいっぱいになったこともある。膝位まで水につかってひたすら竿を握っていた。朝もやの川辺りにとけ込んでいる姿が今も瞼に浮かぶ。

40歳を過ぎてからは体が冷えるという理由で釣りを止めた。そして晩年には庭に観賞の台をこしらえてマツやトコワラビなどの盆栽をじっと眺めていた。また夏は水やりに忙しそうだった。風貌は大滝秀治に似て、バカ正直で、時にはおどけてみせた。イビキも大きかった。

酒も好きだった。当時は貧しく酒を自由に飲める時代ではなかった。時々にしか飲めなかったにちがいない。したがって、ウイスキーや焼酎やワインなどは口にしなかったはず。でも、幾らか酒が飲めたという点については幸せだったのだろう。酔っ払うと陽気になり歌を口ずさみながら帰ってきた。

そんな父にはもっとたくさんの酒を飲ましてやりたかった。そして一緒に飲んでみたかった。今となっては叶わぬこと。下戸であるわたしと違って父はかなり強かった。二人でフラフラになるまで飲んでみたかった。父とはどんな話になっただろうか。

父や母のおかげで今日がある。仕事に恵まれたことも、十分食えたことも、体が丈夫であることも、みんな親のおかげだ。だから親の恩にはいちばん感謝したい。4人兄弟の中ではいちばん親不孝だったが、父の命日には好きだった日本酒とヘギソバを供えた。わたしの想いは黄泉の父に届くかどうかは分からないが、父に感謝し、いつか、もう一度会いたいと思った。

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