■事務局ひとり言■
冬の登校風景(新潟県長岡市山古志)
冬の登校風景(新潟県長岡市山古志)

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●雪

1月のある寒い朝だった。テレビの天気予報で、関東地方は晴れ、日本海側は雪だと伝えていた。それを聞いて日本海側の人々の大変さや、辛抱強さをフト思った。わたしが生まれ育ったニイガタは雪国である。二十歳過ぎまでは、地元に暮らし、ひと冬中、雪と格闘した苦い思い出もある。東京という都会にいると、雪は淡いイメ−ジで、しかも幻想的でさえある。雪の過酷さや、辛さとは無縁の別世界である。

出身地のオヂヤ(小千谷)からは、越後三山(八海山1778m、越後駒ヶ岳2003m、中ノ岳2085m)が望める。海から離れた山間部に位置する。小学生の頃は、冬になると一晩で約30cmもの雪が積もった。それも珍しくはなかった。翌朝は道付けが、わたしの仕事。道付けは、人が雪道に足をとられないように、カンジキで雪道を踏み固めること。30m位の距離の道付けをした。家の外はやたら寒いし、足は凍えるようだった。吹雪(ふぶ)く時などは、横殴りの雪が頬に当っては溶け、涙のように流れた。雪にいじめられ、泣かされているかのような光景だった。

また中学生の頃は、屋根の雪下ろしをよく手伝った。地元では、雪下ろしのことを雪掘りと言っていた。雪の中から家を掘り出すというような表現だった。屋根の雪下ろしは、危険が伴った。屋根に1m位の雪が積もると、雪は重くなり、雪を放り落とすのに、結構な体力が要った。また家の周りに落とした雪を固めたり、平らにしないと、一階部分の窓は雪に埋まり、真っ暗になってしまう。中学生にとっては、結構な重労働だった。だから、雪が降るとウンザリして、雪のない世界に憧れた。

最近は、地球温暖化の影響で田舎の積雪も少なくなった。道路には消雪パイプが走り、パイプに水を流し雪を溶かしてしまう。家の土台は半階位にまで高くし、屋根の勾配も急にして、雪が自然に滑り落ちるように工夫している。だから、同じ雪国の暮らしと言っても、昔のようには大変ではなくなった。それでもわたしは思う。雪の降る地方の人は、きっと雪を恨めしく思っているのではないかと。

川端康成の小説「雪国」では、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」と描かれている。この有名な一文は、今も心に響く言葉である。作家が夜行列車で関東方面から国境を越えて雪国に入ったときの印象を綴ったものだ。わたしは、反対に雪国から国境を越え関東へ足を踏み入れた時の印象が強烈だった。それを作家に真似て表現すると次のようになる。「国境の長いトンネルを抜けるとわが目を疑った。青い空、まぶしい太陽、雪のない別世界、これは天国だ」と思った。

その後は、雪を逃れて関東地方に移り住んだ。早くも40年の歳月が流れた。そして、最近はまた、田舎を懐かしく思ったりする。わたしという人間は、都会に憧れてみたり、また田舎を懐かしがってみたりと、まことに身勝手に出来ているようだ。この先、10年位したら、Uタ−ンするかも知れない。例えそうなったにしても、冬だけは、雪のない土地で暮らしたい、などと、また叶わぬ夢をみるのだった。

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