■事務局ひとり言■
木林博一JBC副会長
木林博一JBC副会長

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●木林さん(JBC副会長)を偲んで

2月11日未明に、JBCの木林博一副会長が病気で亡くなられた。75歳だった。

木林さんとは、昭和49年の全指協(全公協の前身)発足以来の付き合いだった。もう35年になろうか。木林さんは、口数の方はきわめて少ない方ではあったが、何か強さを感じる人だった。当時のJBCは、カリスマ指導者の藤野淳之介副会長体制だった。JBC会員数も多かったと記憶している。その藤野さんを支えたのは、関西の佐藤新三副会長と、九州の木林常務理事だった。

ある時、藤野さんは、木林さんのことを九州天皇だと教えてくれた。木林さんの九州地区における優れたリ−ダ−シップに敬意を表してのことだった。また、一方、九州のボウリング場経営者団体には、独眼竜こと小川義斡さん(後に全公協副会長を歴任)が活躍しておられた。

わたしは、木林さんから一度だけ、もの凄く怒られたことがある。それは、木林さんの目の前で、小川さんの悪口を言った時のことだった。わたしの配慮が足らなかったのだが、つい悪口というか、日ごろの不満を言ってしまった時のこと。その時の木林さんの怒り様は、想像以上だった。しばらくの間、木林さんは、口を聞いてくれないばかりか、どこで出会っても完全に無視の態度であった。木林さんにとって、小川さんはかけがえのない盟友だったのだ。盟友の悪口だけは、絶対に聞きたくなかったのだろう。

それから長い年月の過ぎる間に、ボウリング界においても栄枯盛衰があった。木林さんの最大の功績は、何と言っても、ボウラ−団体と経営者団体の協調路線を堅持され、今日の業界発展に繋げられたことだと思う。

木林さんは常々、「ボウラ−は、ボウリング場がなければ投げられない」、「JBCの最大のスポンサ−は全公協である」と語っておられた。そのJBCは、昭和50年代に日本体育協会加盟、国体参加、アジア競技大会参加等を次々と果たし、スポ−ツボウリングを確立した。その重責を担ったお一人が木林さんだった。

昨年12月半ば、九州・沖縄地区懇談会では、会議をご一緒をさせて頂いた。その時はまだ元気でおられただけに、突然の訃報が信じられなかった。それにしても、人の一生は短いものだ。今、振り返って見ると、木林さんとは、ほんの一瞬の出会いでしかなかったように感じる。まさに一期一会だった。もうお会いすることは叶わないのか……。

スポ−ツボウリングの道を一筋に生き、そしてご活躍された、ありし日の木林さんを偲び、ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。ご指導を頂きありがとうございました。合掌。

※全公協は、平成17年5月、創立30周年記念式典開催の折、木林JBC副会長に対して、特別功労者の表彰を行なった。永年にわたる全公協支援に対しては、改めて深く感謝申し上げます。

海 岸田ますみ 画
海 岸田ますみ 画

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