■事務局ひとり言■

軒先のコロ柿 長野県飯田市
軒先のコロ柿 長野県飯田市

2011.3
2011.2
2011.1

2010.12
2010.11
2010.10
2010.9
2010.8
2010.7
2010.6
2010.5
2010.4
2010.2
2010.1

2009.12
2009.11
2009.10
2009.5
2009.4
2009.3
2009.2
2009.1

2008.12
2008.11
2008.10
2008.9
2008.8
2008.7
2008.6
2008.5
2008.4
2008.3
2008.2
2008.1


2007.12
2007.11
2007.10
2007.9
2007.8
2007.7
2007.6
2007.5
2007.4
2007.3
2007.2
2007.1


2006.12
2006.11
2006.10
2006. 9
2006.8
2006.7
2006.6
2006.5

1月のある寒い朝だった。BCJ(日本ボウリング評議会)の実務者調整会議に出席するため、地下鉄の人形町駅を降りた。地上に出ると甘酒横町の近くに、露店が出ていて、冬の味覚である干柿が売られていた。思わず足を止めそれを買った。

干柿には、伯母(父の姉)の思い出が詰っている。それは小学校低学年の頃。当時は、甘い物が貴重品だった。砂糖も秤売り。その頃、わたしは白く粉の吹いた干柿が好物だった。伯母の家(新潟県山古志)では秋になると、自家用の干柿を作っていた。春休みになると弟と一緒に伯母の家へ遊びに行き、干柿と鯉(錦鯉の子)の佃煮を食べるのが楽しみだった。あれから早いものでもう50年以上も経った。が、今でもあの時の味が脳裏にはっきりと残っている。

また伯母はわたしの父をブン(本名文治郎)と呼んでは可愛がり、仲の良い姉弟だった。伯母はまたわたし達をも可愛いがってくれた。そんな伯母も新潟県中越地震の起こるずっと以前に、父と同じ脳卒中で亡くなった。伯母にはやさしく接してもらったが、何もお返しをしないで終わった。

確か2、3回は仏壇にお参りした記憶がある。それでも、恩知らずの人間には違いない。一日の仕事を終え、ホッとしながら伯母の顔を思い浮かべ干柿を口にした。歯にくっつく様な甘さの果肉を噛み締めていると、そのうちに少ししょっぱい味がした。しょっぱい味。それは、わたしの後悔の塊だった。

春はもうすぐ 新潟県山古志
春はもうすぐ 新潟県山古志

前の「記事」へ戻る 「ボグ交差点58」へ   

 全国ボウリング公認競技場協議会「トップページ」へ  「ボグ交差点・目次」へ