わたしのボウリング人生-2

くまモン
くまモン
第2回
第1回



渉外活動でのコンペ開発編 鰍kTB 社長 榎田勝志 氏

前号で熊本県本渡市(現在の天草市)の(株)天馬堂運営の天草ボウリングセンターを経て24歳で、同社運営の同県牛深市(現在市町村合併により天草市)牛深シーサイドボウルの支配人に抜擢頂いたのですが、マネージメント能力不足にて人財育成が出来ず、再度どなたかの基でマネージメントを学びたいと退社までをご紹介させて頂きました。

そんな矢先に親類の紹介で当時(昭和63年)熊本県ボウリング場協会会長をされていたニコニコ堂グループのパチンコチェーン「ペガサス」の小山専務(B場協会会長)にお会いする機会があった。
今でも鮮明に覚えていますが、当時の天草(牛深市)にペガサス経営のパチンコ店ジュピターがあり、その事務所にて小山会長とボウリングについて討論をした。
その頃、ニコニコ堂と言えば熊本では有名な企業でマラソンの松野明美選手率いる、陸上部・野球部・ラグビー部があり、残念ながら現在はありませんが、ニコニコ堂グループでビッグウェイボウルと荒尾ボウルボウリング場を2件運営しており、小山会長の管理下であった。
小山会長も昭和の黄金期に大劇ボウル(大洋企業経営時)の12レーン4フロアー48レーン総支配人経験者であった。
世間知らずだったわたしは生意気にも、小山会長の装置産業ボウリングビジネス論に対し、異論を唱えて真っ向からぶつかってしまった。
今からのボウリング場は装置に頼り、お客様を待っていては“ダメ”で外に出向き集客する時代に変わって来ますと偉そうな事を言った事を覚えている。
そして、その場を取り持ってくれた、地区長をやっていた親類の方からは、「空気を読め」場所をわきまえて話さなきゃダメじゃないか、気に入ってもらえれば、ニコニコ堂に入社出来たのにと叱られるあり様。

阿蘇山
阿蘇山

しかし、数日後に連絡があり「いつでも良いから自分が現職でいる間であれば、現在の職場を円満退社出来るまで待つので、ニコニコ堂に来ないか“外への攻撃型のボウリング運営”をぜひ見てみたい」と電話を頂いた。
決断するのは早く、その年には天草を出、熊本市内のニコニコ堂ビッグウェイボウルに入社。

ここから、本格的な渉外活動に入る。
当時、ニコニコ堂は数千人の社員をかかえる地場では大企業。
オーナーつながり、組合つながりと営業に幅は広がった。
まず、雇用人数の多い企業のリストアップ。
書店にて、「熊本県内企業紹介」を購入し、商圏内の住所と従業員数20人〜、30人〜、50人〜の3ランクに分け、企業リスト作成。
当時は、まだまだパソコンが普及していなくワープロで管理していた。
当然、先行投資と思い私物購入。
それから、午後は毎日、自家用車で渉外活動に明け暮れた。
営業に回ると、ほとんどの窓口で“ボウリングの営業?”と珍しがられた。
中には、「そんな余裕も時間もないよ」と門前払いも毎日の事。
しかし、自分のこだわりとして、渉外活動は午後13:30〜16:00と定め、門前払いされても間をおいて、一ヶ月以上、2ヶ月以内に再訪問を3回までは繰り返すと決めていた。
ボウリングの渉外活動で成功するポイントは、この二つのみであった。
この頃は、LTB開発など夢にも思わなかった。
常連、会員・固定客、ボウラー、そんな面倒な人達に頭下げて顧客開発や、3万5万のボール1個売るより、コンペ1つ獲得した方が良いと思っていた頃である。
門前払いの企業からも予約が入るようになり、業績は右肩上がり。
しかし、これが裏目に出た。
企業回りすればするほど、訪問先の担当窓口からオーナーに話が届き、ニコニコ堂経営者人にわたしの話が回るのであった。
目的であった“マネージメント習得”をする前に、「ボウリング部門統括するように」という指示があった。
そして、同僚や上司達が配置転換(左遷)されて行くのを見守る形となった。
ボウリング場スタッフなんて、ボウリング以外に潰しがきかない。
会社を辞める人まで出た。
やりきれない気持ちで、わたしも退職届を提出。
昔の話なので許して頂けるだろうが、数千人を管理する本社に呼ばれ、一族経営の役員に「私は君を知らないが、周囲から君の評判は聞いている。高校しか出ていない君をモデル社員として昇格させるので会社に残れ。私と直接会い話が出来るなんて君は幸運だぞ」ってなもんで説得された。
確かに、これが見納めとなった。
“明日は我が身!人を粗末にする会社には残りたくありません”とタンカを切って辞める羽目になった。
またまた、「ぷー太郎」。
その時、妻一人・子供2人であった(T_T)
そんな中、業界は狭いのか前の会社も含め、いくつかの会社からお誘いを受けた。



そして、その一つであるブランズウィックスポーツガーデン(現在のスポルト熊本)に入社させて頂く事となった。
まだまだ、LTB開発に着手しなくても良い時代と立地環境であった。

次号では、大成功を収めた“業種別ボウリング大会”と“コンペ管理システム”についてお話しさせて頂きます。

熊本城
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