わたしのボウリング人生-3

スポルト熊本(BW36レーン)
スポルト熊本(BW36レーン)
第3回
第2回
第1回


業種別職場対抗大会開発コンペ管理システム開発編 鰍kTB 社長 榎田勝志 氏

 前号では、ニコニコ堂運営のボウリング場を退社し、ブランズウィックスポーツガーデン熊本事業所(現在のスポルト熊本)、に入社までをご紹介させて頂きました。
時は、1992年・平成4年月 業界にとって平成バブルの時期でブランズウィックスポーツガーデン(BSG)でも、オープンするセンターは全てが儲かっていた頃です。
まず、BSG熊本(ブランズウイックスポルト熊本)は、BSGグループの中では特に目立った好成績のセンターではなかったと記憶しております。
熊本一番の繁華街には立地しておりましたが、地下1階地上7階の3階〜5階・12レーンの3フロアー36レーンのボウリング場で駐車場は一台も無く、当時リーグボウラー0のセンターでした。
そして、地下はビアホール、1階パチンコ店、2階飲食店&居酒屋と空きスペース、6階倉庫&空きスペース、7階は当時ビリヤードのロスアンゼルスクラブが有りましたが直後に全て空フロアーになった状態でした。
当時、私は31歳で支配人だけが年上でしたが9割はアルバイトで社員は全て20才〜25歳支配人以外全員独身男性と何とも人間関係に苦労させられ事を記憶しております。
そんな中、まず手掛けたのがコンペ開発の渉外活動。
ニコニコ堂での渉外活動がBSG熊本で大きく目を開く結果となりました。
地下・2階の飲食店との居酒屋+ボウリングパックを改良し積極的に渉外活動でPR。
ボウリングの予約をするだけで、居酒屋の予約まで出来てしまうパックで幹事様の負担を解消
した結果、コンペの5〜6割が居酒屋パックとなった。
その結果、2階の居酒屋さんは空きスペースを借り倍近いスペースに増床。
予約コンペ売上もボウリング売上全体の3割を超えるようになった。
当然、ニコニコ堂時代と同じように、午後から時間があるときは渉外活動の日々でした。
天草ボウリングセンターでの下積みがあったおかげで、メンテナンス・メカ・ドリル・フロント・渉外、そして深夜営業の用心棒的役割と便利屋そのものでした。

 当然、売上は右肩あがり状態になっていましたが、センター唯一の大会と言えば会社対抗のトリオ戦がありました。
毎月、参加チーム4〜5チームの何とも情けない大会に大盤振る舞いの賞品は出すは、この中から選抜してBSGチェーン全国大会無料招待派遣するは、何とも情けない大会運営が我慢出来ない状態でした。
それから、どうしたら成功するか試行錯誤した結果、支配人には内緒で中止しました。
もちろん、新たな会社対抗を始める為で勝算はありました。
しかし、「歴史ある大会を無断でやめるとは勝手な事をするな!」と支配人に雷を落とされてしまいました。
内緒ですが、支配人お気に入りの女性が参加していたのです(^_^;)
その頃は上司の女性トラブルの後始末を上司にも気付かれない様に内密にやっていたことを思い出してしまいました。
その頃は、セクハラとかコンプライアンスとか個人情報とか重要視されていなかった。
まあ、本題に戻りますが、2〜3か月後に渉外活動とDMで会社対抗参加チームを募り、結果36レーン36チームキャンセル待ちが出るような状態となり、毎月第2・4月曜日、毎月2回の開催へと拡大。

 そして、月2回の大会を毎週開催の “Kリーグ”・“K1リーグ”(会社対抗のトリオリーグ)へと発展させました。
その上、第1・3水曜日、もしくは、第2・4水曜日の会社対抗も開催しており、会社対抗から、会社対抗のトリオリーグへと発展し、会社対抗も復活。

熊本城
熊本城

次に考え付いたのが、当時熊本市内近隣に900件以上の医・病院が存在する事に気付き、「医院・病院チーム対抗」が出来ないのか、悪い頭をひねくり、企画書を作成立案。
過去、天草ボウリングセンター・ビッグウエイでも小規模な「医・病院チーム対抗」は開催していたので、その経験を生かして大規模大会をもくろんだが、見事の却下。
理由は、“今は十分に売上も伸びているので、ゆっくり行こうよ! 900件以上のDM作成と発送費用も大変だからね!”
恐らく、集まる訳がないと思われたようだ。
理由が理由なだけに諦め切れないわたしは、数の少ない「先生チーム対抗」(ティーチャーズグラプリ)を企画立案。
余りにしつこかったので、開催させて頂く事になった。
熊本市内はもちろん近隣市町村の教育機関の先生方にDM発送と保育園・幼稚園には渉外活動を行った。
結果大成功。
先生のチームだけで、毎月30チーム前後集まるようになった。
先生方には転勤があり、転勤先からの出場や夏休みなどは遠方からも参加頂いた。
成功の理由は沢山あるが長くなるので、この位で。

 いよいよ、「医・病院チーム対抗」(ホスピタルグランプリ)の再提案。
いとも簡単に承認を頂き、開催。
何とレーン数12レーン×3フロアー=36チームキャンセル待ち。
それも、今まではトリオであったが4人チーム戦でのキャンセル待ちで、2シフト制に変更し
約60チーム(約240名)応募。
またまた、大成功である。



 この大会も、開催毎にホスピタルグランプリニュースを作成し、結果発表と次回大会案内を郵送した。
その後、薬品会社の接待に使って頂いたり、医院・病院関係の予約コンペが毎週10件前後入るようになり、予想以上の売上効果が現れた。
成功のおかげで、当時の支配人は医・病院の事務長さんやドクターと知合いゴルフ三昧だった事を記憶している。

 そして、次は“飲食店チーム対抗”。
現在のスポルト熊本は熊本一番の歓楽街で数千もの飲食店が立ち並んでいる。
余りにも件数が多いので、DMは少し工夫をして案内状発送。
この大会は、ボウリング場が暇な日曜日の夜に開催。
チーム名は必ずお店の名前、そしてチームに店員さんが1人以上いる事。
参加チームは、大会後は各お店に戻り反省会or祝勝会。
お店の売上にも繋がると喜ばれました。
ご想像の通り、この大会も大成功を納めお店毎の予約コンペへと発展。
そして、5番目に「官公署チーム対抗」。
少し経ってからのニュースですがデータ残っていたので画像を添付致しました。



これで、職種別大会グランプリシリーズ5大会が出来上がった。

そして、この大会の出場チームへの案内状を管理するための、住所録が必要となる。
もちろん、予想は出来ていたので事前に職業訓練校に通い勉強をしていた。
それまでは、当時主流であったワープロで管理。
特に、カシオ社は表計算やデータベースに強かったので活用していた。
その頃、グレードアップする都度購入し、何台買ったか覚えていないほど沢山買った記憶がある。
また、周りの人達もカシオワープロ一色になっていた気がする。

 そんな中、待望のWindows3.1が発売され、その頃は誰もが使用した事のある表計算ソフト、ロータスヨーロッパ123で有名な会社から「アプローチ」と言うデータベースソウトが販売され即、購入勉強した。
その後、高価な「桐」が発売されこれも勉強したが、何かアプローチも桐もしっくりこなかった。
そして、その頃まったく主流ではなかった、マイクロソフトのオフィス、Accessと出合った。
これだと思い必死に勉強し、少し使えるようになった。
始めは、簡単な大会参加チーム顧客管理から作りはじめ、予約コンペ管理へと発展。
今だから言えるが、現在のコンペ管理システムまで作り上げるのに15年近く費やした。
もちろん、すべて自己投資費用でパソコン購入費用まで考えると何百万、いやそれ以上かも知れない。(家族には言えない)
これから、当時のブランズウィックスポルト熊本での、コンペ管理が始まった。
それまでの、渉外活動を全てパソコンでの管理システムで補えるようになった。
現在でも、スポルトのほとんどの店舗で活用されていると聞いている。

しかし、そうは甘くなかった。
ドル箱のBSG熊本から、地獄のBSG新田辺に転勤の辞令。
ここから、当時は否定していた「LTB開発」に着手せざるをえない事となった。
次回より、苦渋の選択「LTB開発」をご紹介致します。

熊本城(遠景)
熊本城(遠景)

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