わたしのボウリング人生-5

南小国の四季 熊本県南小国町
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●LTB開発の更なるステップアップとコンペ開発飲食パックの充実編  貝TB 社長 榎田勝志 氏


2000年12月より、古巣であるブランズウィックスポルト熊本(熊本事業所)へ赴任。
1992年〜1995年に勤務していた、熊本事業所最終年度1億近い利益を叩き出していたが1997年より赤字になり3期連続赤字、その頃、八代事業所閉鎖売却(今は別業種展示場)、福岡事業所は撤退。
親会社であった、日本ブランズウィック福岡支店も撤退。
その頃、2001年に熊本事業所も撤退閉鎖するとの社内情報が流れた。
まだ、ブランズウィックスポルト新田辺(田辺事業所)に単身赴任中で、わずかではあるが黒字化を果たせないでいた。
しかし、当時の役員に2年で田辺事業所での赤字分を熊本事業所で補うだけの黒字にする事と
失敗したら自らも含む熊本事業所のリストラを条件に熊本事業所を任せて頂く事に成功した。
結果を先にお話しすると、3年連続の赤字センターを初年度で黒字化し、翌年は倍の利益。
そして、翌々年はその倍以上の利益を計上する事ができた。
そんな中でも数年後を考えピンやハウスシューズを数年分買い入れ倉庫に隠していた。
そして、リニューアル計画を申請。
この頃、店舗支配人レベルからの場内リニューアル工事申請は初だったらしく。
(親会社の日本ブランズウィック国内事業部から煙たがられた。)
これで、本社からも離れているし、しばらくは地元熊本で楽が出来ると思っていたが、甘くなかった。熊本事業所赴任3年目に埼玉県上尾市にあった、横浜ゴム運営の上尾スポーツレーンズを運営する事になり、またや大赤字センターへと飛ばされた。
まあ、上尾でのお話は次号でご紹介する事にして、タイトルの熊本事業所での「LTB開発のさらなるステップアップとコンペ開発飲食パックの充実編」をご紹介します。
まず、LTB開発であるが、熊本市内にはいくつものボウリング場があった事と、熊本県ボウリング連盟が県体育協会に加盟していた事もあって、田辺事業所と同じようには行かない気がした。
そこで、現在では政令都市になっている熊本市の各公民館で実施している、カルチャースクールの中に、生涯学習「健康ボウリング教室」(こじつけ)の提案を行った。
教育委員会や当時市内に22ヶ所あった公民館などへアプローチした。
当然どこも、相手にしてくれなかったが、あまりにもシツコイ為、月一回ある22ヶ所公民館の主事会でのプレゼンを許可された。
※公民館と言っても、ミニ図書館や料理教室・パソコン教室など出来る大きな市立公民館で住民票なども取れる規模である。
プレゼン当日、22人分の沢山の資料を持参して訪問したら、私のような売込みする人が沢山並んでいて悪い予感がした。
そして、予感は的中「皆さん、お一人5分以内でご説明お願いします。」との案内。
説明時間1時間を想定し作った資料が・・・・・無駄になってしまった。
プレゼンが終わったあとは、消化ゲーム見たいに事務的に、あとは各公民館の主事さんがやるかやらないか決めますので連絡をお待ち下さい!ってな、感じであった。
予想通り、1ヶ月経っても2ヶ月が経っても何も連絡がなくシビレを切らし、直接公民館を回る事にした。
各公民館の主事は小学校の教諭である先生が出向で担当されており、偶然にもその一か所の西部公民館主事さんが、牛深シーサイドボウル勤務時期に先生チーム対抗ボウリング大会に参加されていたO先生であった。
そして、LTB開発好転へのキッカケとなる。
O先生の説明を聞くと「どこもしませんね!」ボウリング教室など過去に事例がありません。
(他にも組織の体質てきな事も説明を受けたが、さすがにそれは書けない。)
何より会場が公的な施設ではないので無理でしょう。
しかし、何度も何度もどうすれば開催して頂けるのか通った結果、榎田さんの熱意には負けました。(かなりしつこかった)
しかたない、では夏休み親子ボウリング教室をやりましょう!
あっ、必ず失敗する、集まらないと解っていたが、いまは最初の扉を開くのが肝心と考え、やるしか無いと割り切った。
やはり、センターと公民館が離れたいた事もあって広報誌で募集したが2組の申込で定員に達していない事を理由に中止となった。
そして、当初から提案していた「成人の部」教室開催を提案したところ、すんなりお引受け頂いた。
主事会で親子教室が中止になった事で、大恥をかいたらしく「成人の部」で名誉挽回を図る為であった。
そのうえ、O先生の大親友の主事さんがいらっしゃる清水公民館と合同での健康ボウリング教室開催となった。
結果、定員オーバー!
その後、受講者のお一人が自治会会長で自治会発行小冊子等で紹介されたり受講者の方が教育委員会へお礼で訪問したりで評判は周辺公民館にも広まり、数か所の公民館主催の教室を開催するまでになった。






5〜6ヶ所の公民館主催で各公民館年1回の主催教室で年中開催行事へと定着。
この頃までは、教室は5週編で行っていたが、突然に社内支配人会議招集があり、教室2週目で有った為、支配人会議欠席の回答をしたところ。
当時のI総支配人より、「たかがボウリング教室と支配人会議とどっちが大事なのだ!」と
言われ、もちろん「教室」ですと答えたら、会社を辞める覚悟は出来ているのかと激怒され、しかたなく会議に出席した。
この頃は、ブランズウィックスポーツガーデン(BSG)では、教室が成功しているセンターは私の担当したセンター以外は存在しかった為、社内で教室への理解は、まったくと言う程、なされていなかった。
まぁ、だからその後、私が会社に重宝されたのであろう。
健康ボウリング教室を出来るのは私しかいなかったので、その第2週目をアルバイトに矢島プロのレッスンビデオを見せて、シャドーボウリングとストレッチ、そして2ゲーム投げて終了するように、指示。
なんとこのレッスンビデオを見せるのが当ったのである。
それから、面倒な実技は毎回レッスンビデオを取入れ、6週間編となった。
いまは、主流となりつつあるが、その頃はボウリング業界には6週編は存在しなかった。
さて、コンペ開発であるが、同ビル内の居酒屋さん限定でのボウリングと宴会のパック強化をすすめ、渉外活動から、パソコンでの「コンペ管理システム」に切り替え新規コンペ開発に着手した。
細かい事は省略するとして、まずは書店で地域企業紙を入手し、熊本市内に限らず熊本県全体をターデットにし、従業員数20名以上・50名以上のそして、市内・市外に分け蛍光ペンにて色別し,PCにデータ入力。
毎年、発行されるためデータを更新していった。
画像は、2003年度版である。



そして、予約コンペ実施の団体へは職業訓練校等で学んだ、マイクロソフトAccessとWordを連携したシステムを独学で開発し、定期的な案内状発送システムで、リピート化を図った。
今でも、スポルト(旧BSG)全事業所で活用されていると聞いている。
他にも、いろいろやったが主に「LTB開発と予約コンペ開発」で大幅黒字化に成功した。
この二つの開発ンノウハウを持っていれば、BSGのどこの事業所に飛ばされても改善できると思った瞬間であった。
しかし、私生活はと言えば
熊本事業所赴任初年度一年間はカゼで休んだのが一日だけで、364日出勤していた。
赤字解消するには休めなかったのである、社員が私を含めて男性2人・女性1人の3人で朝10時オープン、毎日深夜営業翌朝5時までやっていた。
今の熊本事業所の人員体制が羨ましい限りである。
当然、家族からは見放され赴任半年で、数年前に熊本市内に立てた新築の家に住めなくなりボウリング場近くにアパートを借り1人暮らしの会社とアパートの往復が日課であった。
いまも、単身赴任は継続中である(^_^;)
まぁ、家族に言わせると、それが一番の幸せらしい。

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