人類の未来のために-1

タンザニア・ンゴロンゴロ
タンザニア・ンゴロンゴロ

第1回


●「つながり」の一部という自覚が、人を強くおおらかにする 人類学者 川田 順造 氏 1934生

 「人類に未来はない」。ドキリとさせられる一言です。私の恩師、故レヴィ=ストロース先生が1955年に発表した「悲しき熱帯」の終章に、「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」という有名な一節があります。80年前にブラジル少数民族を訪ね、西欧の人間中心主義を戒めた著作ですが、いま私は改めてこの言葉をかみしめるべきだと思う。

 生態系破壊と資源枯渇、人口爆発の危機。地球は末期的な状況です。地球46億年の歴史の中で、今の人類であるホモ・サピエンスが誕生したのは20万年前のことでしかない。誰のものでもなかった土地に、強い者勝ちで縄張りをつくり、追い出したり追い出されたりしながら、ヒト同士殺戮を重ね、他の動植物の種も絶やしてきた。地球の危機は、人類のゆがみがもたらしたともいえます。

 人類学はしきたりや習俗といった、人々が共通にもち、半ば意識されずに従う行動様式を「人を人たらしめるもの」と考え、研究します。学生時代、私は当時の若者の多くがそうだったように、自分だけのものではない、より良い未来を作るには何をすべきかという理想を求めました。心情的に共感していた社会主義の現実に対する不信が生まれ、手応えのある対象を研究したかった。そんなとき、民俗や様式、伝統、文化などが人々を結びつける「確かさ」として立ち現れてきた。

 旧モシ王国という、文字をもたない社会を始めとして、アフリカ各地に通算9年半暮らしました。私の研究では15世紀にさかのぼる王国の歴史について、彼らは太鼓を使って細かにたたき分けることで見事に伝承していました。音ではなく形で過去を表する文化を磨き上げたナイジェリア・ベニン王国での調査と合わせ、太鼓ことばに文字と同じ「しるす」意味があることを明らかにしました。

 初め私は、文字を持つことを人類の歴史の上で一つの達成とみて、無文字社会がその達成のない段階と考えていました。しかし彼らと暮らすうち、コミュニケーションが実に多様で豊かなことを知り「文字を必要としなかった」と思い至ります。むしろ、文字に頼り切った私たちが忘れているものを思い起こされました。

生きものたち 出迎え(南極)
生きものたち 出迎え(南極)

 今でも思い出すのは、農閑期の夜、熾火を囲み、子供たちがお話を皆に聞かせるときの、素朴な喜びの表情です。昼間は大人たちにこき使われていた子供たちのどこから、こんな傑作話が、いきいきした声で出てくるのか。文字教育で画一化されていない「アナーキな声の輝き」と私は呼びました。録音を日本に持ち帰って友人に聞かせたら、声の美しさにみな驚きました。伝える喜びに満ちた躍動がありました。

 アフリカ。干ばつや飢餓、内戦など、自然や社会環境の厳しさというイメージが強いですが、そうした話題でないと新聞記事になりにくいですからね。多くの人は強大で荒々しい自然にうちひしがれ、受け身ながらも、日々をしぶとく楽しんでいます。野生植物を巧みに利用して生き抜く知恵の素晴らしさ。富は分け合うものという了解もあった。最終的に私は人々の驚くべき生命力と、おおらかな自己肯定感に感激せずにいられないのです。

 その生命力や自己肯定は、共同体のつながりに対する信頼だと思います。今生きている者は、死んだ人、これから生まれてくる人も含めた人間の大きなつながりの中の一部分にすぎない、という意識がある。日常に性の言葉があふれているのも、そのことの表れではないでしょうか。死者の葬送で、年のゆかいな子供も交じり、男女のパートに分かれて、男性の性器をからかう文句を大声でがなる。そんなユーモラスな合唱を聞いた時、なんとおおらかなしきたりだろうと、感動したものです。悲しいはずの死者との別れで、性を歌う。新たな誕生を待ち受ける期待も示しているのでしょう。

(つづく)

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