生涯の自分を貫く基盤

 安藤優子 氏
安藤優子 氏

●生涯の自分を貫く基盤 ジャーナリスト・ニュースキャスター 安藤優子 氏 1958生

思いがけず報道の仕事に携わってから、気づかないうちにもう35年も経ってしまった(笑)。行き当たりばったり突っ走る性格ですから自分でも信じられないのですが、それだけ追いかけがいのある仕事だということでしょうか。

でも大学時代には、いつかホテルのマネージャーになりたいと、米国留学を目指してアルバイトに精を出していました。そこで偶然テレビ局の人から声をかけられ、報道番組のアシスタントとして雇ってもらったのですが、司会者の横でただうなずいている、資金稼ぎのアルバイトの感覚でした。取材をさせてもらえることがあっても、「テニスに行けなくなった」とブツブツ文句を言う。職業意識などほとんどなく、在籍している大学卒業を後回しにしながら、ただ、「できないのか」といわれるのが悔しくて、負けん気だけで意地を張っていた20代でした。

そんな私に、生まれて初めての海外生中継の仕事が回ってきます。まだ共産主義政権下にあったポーランドの首都ワルシャワから、食料さえ配給制で日用品も手に入らない厳しい物不足の中、人々の現状はどうか。街頭で声をかけ続け、トイレットペーパーやミルクが欲しいといった不満を予想していた私に、ある母親が「平和が欲しい」と答えたのです。私がぬくぬくと生きてきた日本とは違う現実、平和への意識の高さ。少しだけですが、今自分のやっていることが「自分にとって」大切なことかもしれないと感じる出来事でした。

 それでも「この仕事に人生をかけるぞ」と決意したわけでもなく、ただ、もう少しやってみたいという直感する自分がいました。棚上げしていた大学を30歳で卒業し、報道のトレーニングをしていない素人だというコンプレックスも抱えたままでしたが。

 「なぜ、できないんだ」「下手くそだ」と言われない日はないくらい、現場の取材ではよく叱られました。今思えば、負けん気の私の気性を知っていて育てようとしてくれたのかも知れませんが、私の葛藤は大きく、「辞めてやる」と「やってやる」の二つの激しい感情を行ったり来たり。

 ある時、海外の取材で担当プロデューサが「本当に、何で君はカメラの前に(先)に行かないんだ」と言うのです。「君がやっているリピートがまったく面白くないのは、次に何が待っているかがもう予測できるからだ」って。衝撃でした。確かに私はカメラの後を追いかけ「これはこうです」と説明している。「逆だ。カメラが必死で追いかけるリポーターでなければどうにもならない」。それは、自分が何を見たいか、何を伝えたいかを発見していかなければならないという意味だったのですね。自分が羅針盤であることでした。

 もちろん、その要求にすぐに応えることができるほど仕事は甘くない。私は最初から才能があふれ出てうまくいく人なんかこの世にいないと思っています。いい仕事だと認められるのは、何度も失敗しながらやっていくうちに訓練されるたまものです。何十回もそれぞれの仕事の現場で叱責され、悩み、工夫して、ジリジリと上がっていく階段、少しずつ分かってくる実感です。時間はかかる。でも、試行錯誤から一度つかんだら、それは自分を知って生かす力を一つ得たことになる。現在の仕事のためだけでなく、生涯の自分を貫く基盤ですよね。

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