普及活動のページ レッツ・ゴー・ボウリング! 第24章

宮田 哲郎

(社)日本プロボウリング協会 (社)日本体育学会・体育経営管理部会員

平成19(2007)年7月1日号


白い服の王女マルガリータ ベラスケス(1599-1660年)
目次
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第4章
第3章
第2章
新時代2
第1章
新時代1
はじめに

 ボウリング・ブームの社会史(その2)


 先月は、単に「ボウリングの歴史」としましたが、ここでは

いろいろな時代社会で「ボウリングが流行った社会学的理由」

を論ずる絶好の場ではないかと思いついたので、今回からは

タイトルを変えます。


 歴史の変化には必ず時代や社会の事情があり、ボウリングの

盛衰においても例外はありません。諺に、歴史を学ぶことは将来

を知ることとありますが、ここでみなさんと一緒に考えたいと

思うのです。


 実は・・・、私は歴史が大嫌いでした。

 受験勉強では「深く考える」余裕など皆無で、きわめて論理的な

物理や数学とまったく異なる歴史でも、前後(社会学的な)の脈絡

や背景があるとはまったく気がつかなかったのです。幼稚でしたね。



 中世ヨーロッパのボウリング・ブーム


 手仕事から機械工業に変った産業革命(18世紀中頃ー19世紀

前半)は、庶民の「食うための」生活つまり仕事をする労力と時間

を大幅に軽減(短縮)させました。顕著な動きは、働いて寝るだけ

の毎日から、からだとこころのストレスを発散する「遊び」の時間

が生まれたのです。


 しかし、それは現代余暇の概念とは、かけ離れたものでした。

 労働者の多くは、単純な暇つぶしのために当時は駅馬車の中継地

だった小さな宿屋(イン inn)に付帯する酒場(パブ pub)

で過ごすことが通例でした。ブームはここで生まれたのですが、

パブには、トランプ・カードやナイン・ピンズ・ボウリングなどの遊具

が必ず備えられていたのです。


 しかし、酒と賭博の娯楽は度を越しやすく、翌日の仕事を怠ける者が

続出しましたから、初期ボウリング・ブームの証拠は多数の「禁止令」

で発見できます。イギリスなどヨーロッパの事例が多くありますが、

もっとも顕著なものは開拓期のアメリカです。


 面倒ですが、ちょっと前号の年表を参照してください。

 禁止令は、ヨーロッパで10−17世紀にかけて頻発されまし

たが、公的な場所での遊びを規制するか、単に怠惰な生活を戒める

類のものでした。後世、最も有名な事例は「清教徒」と呼ばれる

ピューリタンがボウリングに与えた影響ですが、近代ボウリング

発祥の地アメリカにおける禁止令(ブルー・ロー)の背景になった

のです。

 *16世紀後半、英国教会に反抗して起きたプロテスタント宗団。

 すべての娯楽は罪悪とし、華美・豪奢を排して、僧俗を問わず清浄

 な生活をなすことを主張した。




 開拓期のアメリカ


 18世紀末のアメリカでは、狩猟や競馬などイギリス文化の影響

をもつ、生活に直結した土俗的スポーツが中心でした。この時期、

ヨーロッパ伝来のボウリングは、9本のピンを用いるイギリス伝統

のスキトルス Skittles、ドイツのケーゲル kegel

などが流行していました。


 驚くべきことに、当時の国民は90%以上が農業に従事しており、

南部では農園主、中部・北部では貿易の利益を享受した大商人や

船が構成する紳士社会があり、遊び文化をリードしたのです。


 このように植民地期時代のアメリカは英国伝来の遊びやスポーツ

が中心になり競馬・狩猟と魚釣り・クリケットが流行しました。し

かし、ボウリングは不思議なことに、1775−1783年の独立

戦争の後、およそ100年間に渡りパッタリと流行が止み、廃れて

しまったのでした。


 この極めて不自然な現象を検証しますと、前出の「ブルー・ロー

など」禁止令が、独立戦争後の新国家における「賭けがともなう」

遊びやスポーツを厳しく禁じたのです。ちなみに、当時の資料を

読みますと、ボウリングをパブ・スポーツ(ニュアンスは、

酒場の遊びごと)と呼ぶものが少なくないのです。



 歴史から学ぶこと


 今月の歴史の教訓は、次のことがらだろうと思います。

 業界のそれぞれの立場で、大いに議論すべき時期ではない

のでしょうか?


 1. 長期的視点で産業の将来を占いたいのなら、時代社会の

  経済的背景すなわち可処分所得、春闘の賃上率、国民総生

  産(GDP)などに「指針となる値」があるはずだ。


   一方、齢56歳を数えるボウリング産業で、この辺りの

  研究がなされていたのか。私が知る限り、産業人の殆どが

  極めて情緒的な将来予測に終始するのはなぜだろうか?


   「コーホート分析」で導かれる衝撃的予見が当たらない

  ことを切に願うのですが・・・、時代社会の変化を確実に

  捉えたボウリング産業の「中長期戦略」を議論し、早急な

  対策を講じる時期ではないだろうか?


 2. 米国開拓期のピューリタニズムによるボウリングの衰退

  を見ると、時代と人々のボウリングに対する認識の変化と

  *需要と社会政策の変化を今こそ利用すべきである。


  *1930−40年代に米国を襲った大不況時代、ときの政府

  (F.ルーズベルト大統領)が行った官による二つの投資、

  つまりニュー・デイール政策がボウリング大ブームを喚起した

  事例がある。詳しくは、次号。


  米国の事例は次号で詳しくお話しますが、現在こそ業界

 のイノベーションを始める絶好機であります。総合型構想

 が始まったことは、他のスポーツ産業の多くが予期しなか

 ったできごとでしたが、競合スポーツ業界(団体)や御社

 に隣接する同業のセンターが急激に増えるだろうと予想して

 います。 ―次回 現代ボウリング産業と将来を予測。


  ドラッカーは成功したイノベーションを体系的に探求した

 (無数の歴史的事実を精査)結果、合計7つの機会があると

 しています。産業内部に4つ、外部に3つですが、*印は

 ボウリング業界に該当するものでないかと思います。

  1. *予期せぬこと。

  2.   *ギャップ。

  3.   *ニーズ。

  4.   *産業構造の変化。

  5.   *人口構造の変化。

  6.   認識のギャップ。

  7.   新知識。


  以上の7つのチャンスは、互いに重複しており、夫々に

 複雑な難しさとリスクをともなうとしていますが、結局

 私は全く新しいボウリング市場、つまり地域や大衆の公的

 なボウリング需要を堀起す方策として、文科省の国策に

 無条件で参画することを選択したのです。


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