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Japan Association of Registered Bowling Alleys

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全国ボウリング公認競技場協議会 あゆみ
(財)全日本ボウリング協会と共にスポーツボウリングを推進
1972年
(昭和47年)
1月・・・(財)全日本ボウリング協会(略称・JBC)は「健全な環境のもとで正しいスポーツボウリングを」の目的のために指定競技場制度を制定。
1974年
(昭和49年)
4月・・・全国ボウリング指定競技場協議会(略称・全指協)が発足。初代会長に野村浩氏(三重県・桑名リバーサイドボウル社長)が就任。
1976年
(昭和51年)
7月・・・JBCは、指定競技場の全指協入会の義務付けを決定。
1978年
(昭和53年)
12月・・・第8回アジア競技大会の正式種目に採用される。
1979年
(昭和54年)
1月・・・F.I.Q.は、IOCからボウリングの統括団体として承認される。
11月・・・第1回全国指定競技場対抗大会を東京で開催。
1980年
(昭和55年)
2月・・・全指対抗の上位3チームを日台親善大会(台北市)に派遣。
1982年
(昭和57年)
5月・・・二代目会長に合原昌一氏(大分県・日田アストロボウル社長)が就任。
1983年
(昭和58年)
3月・・・JBCは、(財)日本体育協会に加盟承認される。
1984年
(昭和59年)
4月・・・全国ボウリング公認競技場協議会(略称・全公協)に改称。
1985年
(昭和60年)
5月・・・三代目会長に大西史郎氏(京都府・嵯峨ニックボウル社長)が就任。
1987年
(昭和62年)
9月・・・第42回沖縄国体にボウリングは公開競技で初参加。
1988年
(昭和63年)
9月・・・第43回京都国体でボウリングは正式競技に昇格。ソウルオリンピックのエキシビションゲームに採用。
11月・・・第1回全国スポーツ・レクリエーション祭に壮年ボウリングが採用。
1989年
(平成元年)
5月・・・NHK杯第15回全日本選抜選手権大会が実況生中継放映される。
7月・・・石川県高等学校体育連盟、評議員会でボウリング部を専門部認定承認、全国で初。
10月・・・JBCは、プロ・アマ交流の禁止を解除。
1990年
(平成2年)
5月・・・四代目会長に伊藤博元氏(東京都・西東京レーン社長)が就任。
1993年
(平成5年)
5月・・・第1回東アジア競技大会が中国上海市で開催。ボウリングは正式種目。
1994年
(平成6年)
10月・・・創立20周年祝賀会を広島市で開催。広島アジア競技大会・ボウリング競技で日本代表選手が大活躍。
1995年
(平成7年)
1月・・・兵庫県南部地震発生、地元ボウリング場に多大の被害。
7月・・・JBC赤木会長が日本からははじめて世界テンピンボウリング連盟会長に就任。
1998年
(平成10年)

2月・・・長野冬季オリンピック開催中に、IOCファミリーボウリングトーナメントを長野市で開催。

2000年
(平成12年)

9月・・・文部科学省はスポーツ振興基本計画を策定。総合型地域スポーツクラブの全国展開へ。

2001年
(平成13年)

5月・・・第3回東アジア競技大会・ボウリング競技が大阪府堺市で開催。金岡公園体育館に特設12レーン設置。
8月・・・ワールドゲームズ2001・ボウリング競技が秋田県横手市で開催。
9月・・・日本スポーツマスターズ2001・ボウリング競技が宮崎市で開催。

2001年
(平成13年)

10月・・・釜山アジア競技大会応援ツアー実施。選手に報奨金贈呈。(金100万円、銀20万円、銅10万円)

2003年
(平成15年)

2月・・・体力つくり国民会議に加盟。

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