だれでも、天才になる機会はある

華頂山夜桜 冨田渓仙 画
華頂山夜桜 冨田渓仙 画

●だれでも、天才になる機会はある ア−ティスト 日比野 克彦 氏 52歳

天才は自分では天才とは言わない。周りの人間が「あいつは天才だ」という。人間の価値観は、世の中とともに移り変わる。だから絶対的な「天才」はいない。

百年前の天才が、いまの時代に生きていたとして、やっぱり「天才」と呼ばれて活躍できるかというと、違うと思う。逆に、いま能力を評価されていない人間でも、百年前、百年後なら、同じ能力で「天才」と呼ばれるかもしれない。どの時代にも万能な天才はいない。その時代、時代にうまく歩調のあった能力を持った人が「天才」と呼ばれるだけのことだ。

だから、親は「天才を育てよう」じゃなくて、その子の能力を最大限に伸ばし、自分に自信を持てるように育てることがもっとも大切だと思う。

大学で教えていると、能力を持っている人間も見える。でも、その人間が、その能力を発揮できるかどうかは、その人が誰と出会うかであり、人との縁。能力を持っていても、自分を認めてくれる人、自分のことを「天才」と呼んでくれる人と巡り合えるかということである。

それと、もう一つ。長い時間の尺度で物事を考えられる人間であることが、天才になるベ−スだ。いまは、だれからも評価されない。でも、いつか必ず自分の時代がやってくる。死んだ後かもしれないけれど、自分のしたことは役に立つ。そう思えれば、どんな時代にあっても、自分の能力を信じ続けることができる。

昨年は「生物多様性」という言葉がよく使われた。人間も同じ。いまの時代に重宝な能力だけでなく、多様な才能の人が「いつか自分の時代が来る」と思える日本にすることが「天才」を生み出すことにつながる。

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