●本当の豊かさとは何か?●

北の森公園の夜 早川義孝 画
北の森公園の夜 早川義孝 画

●本当の豊かさとは何か? 埼玉大学名誉教授 暉峻 淑子(てるおか・いつこ)氏 1928年生

人間は、もちろん、物質的な、ある基本がみたされていなければ、飢えや凍えのもとでは、豊かだとはいえない。

しかし、豊富とか豊饒という言葉は、生態学者が言うように、もともと生物にとって、地球的な豊かさ、つまり、なるべく多くの種が共存していること、を意味していた。多くの種が共存しているほど、それぞれの個体もまた、豊かな生き方を保障されているのが、大自然の原理原則だからである。人間の個性を大切に、とか、弱者とともに生きる、ということは、人間もまた自然の一部である限り、地球的な豊かさからみれば当然のことなのである。

木の葉が落ちてバクテリアに分解され、土壌を豊かにするように、小鳥が木の実を食べたり、土中に蓄えたりすることによって、結果的に植林しているように、多くの種は、依存しあいながら生きている。人間もまた、相互に依存しあい、連帯しあいながら、社会の中に根を下ろし、労働や対人関係や自然との交流の中から、養分を吸収し、自分自身も社会にいくばくかのものを還元して、植物のように生の循環をくり返す。その循環の環は、いくつもの他者の循環の環とからみ合い連帯しあうことによって、豊かなのである。

企業の歯車のひとつになりきって、全人生を会社に捧げたり、家に帰りついたら、寝るだけでは、自分自身の全体としての人生はない。カネというひとつの価値だけに支配されることも豊かではない。

もともと、生きる、とは生命力の全体的な発揮であり、偏った部分的な人生は豊かな人生とはいえないのである。私たちは食物、暖かさ、眠り、愛し愛されること、社会からはじき出されないこと、教育、信念、文化的活動、政治参加などのすべてに対する欲求を持つ者として、全体として生きるのである。それが自己実現である。

また私たちは、雄大な山を見たり、森の中を歩いたり、太陽の輝きが雨上がりの樹々にきらめくのを見たりしたとき、また、一本の草や花、風のそよぎ、水の音、虫や鳥に出会ったときにも、心をひかれ、美しさや感動を覚えて立ちどまることがある。自然の中にいると、何ともいえない気持ちになり、永遠の自然や、命のふしぎさに、神秘的な何かをかんじたりもする。人生の挫折のなかで、自然にふれて立ち直るきっかけをつかんだりするのも、人間そのものが自然的存在であるからだろう。

私たちは、近代文明にまきこまれないで自然を友として生きている民族に豊かさと羨望をかんじたりもする。それは、私たちの中にある自然と、外界の自然が、お互いに交流し、呼び合うからだろう。

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