四家秀治の「ナイス!ピンアクション」−12

 水野成祐プロ
水野成祐プロ
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●プロ26年目、悲願の初優勝 水野成祐プロ

 昨年11月、茨城県坂東市にオ−プンした8−BOWL(エイトボウル)で支配人を務JPBA24期生水野成祐プロは、若い頃から個性的かつ豪快な投球フォ−ムでファンを魅了してきました。3月にシニア入りしした昨年もポイントランクは4年連続でトップ10入りとなる堂々の6位。未だ衰えず、というよりもさらに安定感が増したような印象さえあります。

 今もスリムな体型が変わらない千葉県木更津市生まれの水野プロですが、小さい頃は、地元でお父様が経営する理容室を継ぎ、将来は理容師と美容師の資格を取って、理容美容兼業のユニセックスサロンを経営したいという1970年代当時としては画期的な夢を抱いていました。もちろん、爆発的なボウリングブ−ムの波は水野家にも押し寄せ、特にお母様が嵌り、成祐少年も4歳年上のお兄様と共にボウリングが大好きになったのですが、その頃はプロになる気はありませんでした。

 ボウリングブ−ムはあっという間に去りましたが、もう一度、少しだけボウリングが巷の話題になり始めた80年代初頭、フッとしたきっかけからお兄様とプロテストを見に行くと、そこには、ブ−ムの頃より明らかにレベルの低いプロ志願者が…。これが理容師の卵、成祐青年の心を動かしました。

 「プロボウラ−」が始めて目標になったのです。

 理容室を継ぐと公言していただけに、突然の方針変更にお父様の反発は強かったそうですが、お母様は彼の気持ちを理解してくれ、またお兄様 の後押しにも救われ、そこから、激しい練習…というよりも鍛錬が始まります。もともと身体を動かすのが大好きで、また小柄だったため、スポ−ツに関しては人の3倍努力するタイプ、当然ボウリングに対してもそうなります。(ちなみに水野プロは剣道2段の腕前でもあります)



 富津スタ−レ−ンに勤め始め、その近くの河川敷7kmのランニングと、プ−ルトレ−ニング……バタ足、水中背面歩行など徹底的な下半身の強化……そのあとで“最低”20ゲ−ムを投げるのが日課になりました。働きながらですから、こんな練習を毎日していたら平均睡眠時間は2〜3時間です。この『狂』がつくほどの猛練習で身に着けたのが、あの独特の投球フォ−ムでした。

 こうして迎えたプロテストは一発合格。晴れて、理容師の資格を持つ24歳の24期生水野成祐プロが誕生しました。

 「私がやったトレ−ニング方法は、運動生理学的にはどうだったのかわかりませんが、剣道で鍛えた下地があったとはいえ、あの投げ方をず−っと続けてきて、それが理由で腰や膝を痛めたことは一度もありませんから、しっかりした下半身を作り上げたことだけは確かだと思います。はっきり言って、最近の若いプロはみんな…とは言いませんが、トレ−ニングが全然足りないと思いますね」

 柔和な語り口とさわやかな笑顔がよく似合う万年青年というイメ−ジの水野プロですが、このときばかりは、表情が一瞬険しくなりました。

 さて、最初の数年間、腱鞘炎に悩まされた水野プロがト−ナメントの上位に顔を出すようになるのは20代後半になってから。その後は順調に成績が伸び、いつしかシ−ドの常連にもなったのですが、優勝となると、これがなかなか手が届きません。

 「剣道でも大会に出ると、ベスト4以上には必ず行っていながら、一度も優勝はできませんでした。ただ、その気になれば3段は間違いないと言われ、昇段試験を受けることにしていたのですが、試験の直前、交通事故に遭って骨折し、結局それで(骨折が完治してからも)昇段試験を受けるのはやめてしまいました。だから剣道は2段なんです。とにかく、私ってほんとうに優勝できないんですよね」と、朗らかに話す水野プロ。そんな水野プロが、今から2年前、人生の危機に直面しました。勤めていたつくばボウルを辞めざるをえなくなつたのです。

 水野プロは5人の子を持つ父でもあります。
 追い詰められた水野プロは
「この大会で優勝できなかったらプロボウラ−を辞める」



 つくばボウルを辞めたすぐ後に開催されたト−ナメント、ラウンドワンカップに臨む際、そう奥様に宣言しました。ところが、いざ、大会が始まってみると予選初日の前半6ゲ−ムを終わった段階では、準決勝通過ラインの上位44人にも届かない成績でした。

 その日の夜「こんなボウリングしかできないでプロを辞めていいのか」と、自問自答。いろいろな思いが頭の中で交錯しました。悩んで悩んで出した結論は「よし、明日は最初の2ゲ−ムで500を越えられなかったらあきらめよう」というものでした。

 土壇場での決意、開き直りとでも言うものなのかもしれません。

 それがよかったのか、翌日は最初の2ゲ−ム、500どころか558をマ−クして急浮上、その勢いのまま後半6ゲ−ムは突っ走り、予選12ゲ−ムト−タル10位で準決勝へ。準決勝6ゲ−ムでさらにスコアを積み上げ3位で決勝ラウンドロビンに進出しました。この間、水野プロは、どんなにいいスコアを出しても「こんなもんじゃない。まだまだだ、と感じながら投げていました。あんな感覚は今までありませんでした」と話します。とにかく一心不乱にピンに向かい続けた水野プロは決勝ステップラダ−には2位で残り、3位決定戦で新進気鋭の川添奨太プロを、決勝戦ではKPBAのチェ・ウォンヨンプロを下し、プロ26年目にして悲願の初優勝を飾ったのです。

 プロボウラ−水野成祐は生き残りました。



 今、水野プロにとっての期待は、双子の兄弟でもある長男耕佑(こうすけ)君と次男優亮(ゆうすけ)君の活躍です。この春高校1年生になった2人は国体少年男子の部、千葉県予選で現在2位と3位につけているのです。1位と2位が本番の岐阜国体に出場できる最終予選は今月13日に行われます。残り8ゲ−ム、もし、兄弟そろって国体出場ということになったら、水野プロの笑顔もまた一段と魅力的になるに違いありません。

 もちろん、水野プロにもまだまだがんばってもらわなければいけませんが…

 「私はプロになる気なんて全くなかったんです。そう、プロボウラ−は兄がなるものと思っていましたから。兄はボウリングがほんとうにうまかった。それで私が理容室を継いで…のはずが、結局、理容室は兄が継いで、私がプロ。兄がプロになったら?そりゃあ間違いなくシ−ドプロにはなっていたと思いますよ」

 今までの人生を振り返ってこう話す水野プロのお兄様とは?
 実は私、今から15年以上も前、水野プロよりもお兄様のほうを先に取材していました。
 その偉大な兄、和敏さんについては来月。



四家 秀治 (よつや・ひではる)

元テレビ東京アナウンサ− 2011年7月からはフリ−。テレビ東京在職中は、ボウリングの実況を多数経験。東京運動記者クラブボウリング分科会代表幹事と、武部勤衆議院議員が会長であるボウリング評議会の理事を2011年3月まで務めた

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