四家秀治の「ナイス!ピンアクション」−13

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●私が出会った初めてのアマチュアトップボウラー

 千葉県木更津市にある理容室「ヘアーサロン・ミズノ」3代目店主、水野和敏さんに私が初めてお会いしたのは今から16年前、副賞を含めた優勝賞金総額1000万円のビッグトーナメント、第13回関東オープン決勝ラウンドロビンの前でした。(この大会はもうありません 会場は品川プリンスホテルボウリングセンター)ほとんど駆け出しのボウリング実況アナウンサーであった私は、トッププロに混じって全体の6位でラウンドロビンに残っている水野和敏というアマチュアボウラーは一体何者なのだろうと思って話しかけたのです。

大会関係者からの情報は、準決勝14位で敗退したJPBAプロ24期生水野成祐プロの兄であるということだけでしたので…。すると競技開始前の大事な時間であるにもかかわらず、水野さんは、私のつたない質問に「1を聞くと10答える」ような丁寧さで応じてくださいました。その中でも特に印象的だったのは「よく、心・技・体などといいますが、それ以外にも大事な要素が2つ、それは環境と形態です」というお話でした。大変興味深いお話だったので長くなってしまい、結局15分、いや20分ぐらい話し込んでしまったように思います。当時の私はいくらボウリングが好きだと言っても、ハウスボール、ハウスシューズで、気の合った仲間と勢いにまかせて週に2、3回のペースで10ゲームぐらい投げまくっていただけの自称「ウィークエンドミッドナイトアマチュアボウラー」に過ぎませんから、水野さんのお話を聞き、アマチュアでもトップクラスのボウラーはこんなにも論理的にボウリングを考えているのか!と、いきなり棒で頭をガツーンと叩かれたかのような衝撃を受けたものでした。



 「とにかく、きょうは楽しみで…、だってランキングトップスリーの長谷宏さん、西城正明さん、酒井武雄さんと真剣勝負ができるなんて、私のような普段鋏を持って髪を切っているだけの男には夢のようなことですから」

と、あくまで謙虚に、且つ、最後は弾んだ声で水野さんは戦いの場に出ていかれました。

結局、ラウンドロビンでスコアは伸びず、最終成績は11位。決勝ステップラダーしか収録しないテレビでは水野さんのことは「ベストアマチュアである」ことしか紹介できませんでしたが、ランキングトップスリーの長谷プロ、西城プロ、酒井プロの3人とは1勝1敗1引き分けの好勝負、堂々たるボウリングを見せてくださいました。(優勝は西城プロ)

 水野さんとはそれ以来、一度もお会いする機会がありませんでしたが、今回、当時のことも含め、改めてお店(ヘヤーサロン・ミズノ)に伺い、お話しを聞くことができました。

 「あの関東オープンの前、私が練習したのは1ヶ月間で24ゲームだけです。それも始めから“本気”で投げられるようにゲーム前には入念にストレッチをし、しかもフレームの1投目は10フレを除き、10ピンか7ピンを狙っていました。これは、1フレームで必ず2回投げるためです。ストライクが出てしまうと投球練習は半分になってしまいますからね。投げる練習をするために行っているのですから、投球数は多いほうがいいわけです。仕事をやりながらなので時間は限られていますし、投げればゲーム代がかかります。ですから1回2ゲームを1ヶ月間で12日、集中して濃密な練習を心掛けました。あとは自宅で筋力トレーニング、フォームのチェックを繰り返していました。あの頃はいかに身体の筋肉を効果的に使ってピンが倒れるボールを投げるかを自分なりに研究し、実践していました。好きなボウリングですから苦にはなりません。もう要らないから四家さん、これどうぞ」といただいたのが、森永製菓株式会社健康事業部というところから1994年に発行されている時価3000円の「筋肉づくりのメカニズム」という分厚い本でした。

 せっかくいただきながら、怠惰な私は読んでいると眠くなってしまい、読み切れていないのですが、1994年当時の、筋肉についての最新理論が凝縮されている1冊で、これをおそらくバイブルのようにしながら、水野さんは限られた時間の中で最大限の努力をされたのです。

 「私は、プロボウラーになるつもりでした。でも、その道は途絶えてしまったんですよ。その気になっていた高校生時代、近くにあったボウリング場が次々に営業をやめ、高校3年の秋には、とうとう行けるボウリング場がなくなってしまったのです。こうなると、もう家業を継ぐしかないわけです。翌春からは理容師の専門学校に通うことになって、それなら…と、高校も正直、校風に合わないので、辞めてしまいました。はい、高3の秋に辞めました。それで、翌春まで暇だったので東京に出て、東京宝映テレビの研究生になって少しばかり演劇の勉強をしました。でも、研究生といっても遊びみたいなもので、むしろナンパが目的だったかな(笑)。だから、役者になりたいなんて全く思ってなかったですよ。東京宝映テレビが主宰する劇団フジから出た中では、大場久美子さんが有名人ですね」

 実は、その時期のことを弟の水野成祐プロは鮮明に覚えていて

 「東京の兄のところに遊びに行ったら、劇場に連れて行ってくれましてね。田舎者ですからとても感動しました。兄はすごい世界にいるのかな!?、なんて思いました」

 それにしても「やりたいことができないなら高校の卒業証書などいらない」そして「次にやることが決まっているなら、それまでの間、ちょっと知らない世界を覗いてやれ」という澱みのない生き方には、水野成祐プロとは違った意味で感動を覚えます。



 さて、そうして取った理容師の資格。前回のこのコラムでも書かせていただいたように、資格は弟の成祐さんも取りました。お父様は、それなら、弟には別の店をやらせようと思っていた矢先に突然、成祐さんが「プロボウラー」を志すわけです。和敏さんの心境は複雑だったでしょうが、そこは兄、弟の背中を押したというわけです。

 「関東オープンのラウンドロビンは真剣勝負を楽しんでいただけではなくて、プロから盗めるものは全部盗んでやろうと思っていました。具体的なことは申し上げられないですが、よし、これなら来年はやれる!という感触はつかんだんですよ。でも、それから、日常生活のちょっとした不注意でケガをしまして…」

 水野さんは、右足の大ケガ(右側底腱断裂)を負ってしまいます。もちろん、ケガが直ってから――厳密には右足親指内側の腱がなくなってしまったので完全に直ったわけではありません――復活に向けてトレーニングを続けたのですが、右足をかばった投げ方になってしまったのか、あるいは積み上げた全身の筋肉のバランスが崩れたのか、試行錯誤を繰り返すも、いつまで経っても投球がしっくりいかない状態が続き…

 「結局20世紀でボウリングは辞めました。21世紀に入ってから一度もボールを持っていません」

 水野さんからあの関東オープンを越えるパフォーマンスを見ることは永遠にできなくなってしまったのです。

   よく「アマチュアに引退はない」などと言いますが、水野さんは、自分の投球ができないならとキッパリ引退。その引き際も実にカッコイイとは思いませんか?

 「いわゆるボウラー団体には所属しませんでした。所属すると、団体として行動しなければいけないときもありますからそれは仕事の関係で難しいので、単なる1人のアマチュアボウラーとしてやっていました。だから、大きな大会、ジャパンオープンと関東オープンは常に目標でした。そうそう、アマチュア最高峰の大会、宮様チャリティボウリング大会も1992年の第26回大会で準優勝しています」

 「今、振り返ってみると理容師でよかったのかなという気もしますね。あの時代、やはり長男が家業を継がなければいけないという空気はありましたしね。それに、限られた時間でボウリングには情熱を注いできましたし。でも、2人の子供(男)には、私のような思いはさせたくないので、ええ、2人とももう社会に出ていますが、理容師とは全く関係ない仕事をしています。この店は私の代で終わりです」

 このような、ちょっと湿っぽくなりそうなお話もサラっとされる水野さんに、私は深い尊敬の念を抱かずにはいられません。



 すべての若手プロボウラーの皆さん、今置かれた環境を踏まえ、水野さんおっしゃるところの「形態」――自分の持って生まれた身体をいかに技術向上のために鍛え上げるか――練習に加え、研究、工夫、努力されることを切に望みます。若干、時代は違うかもしれませんが、1ヶ月間、たった24ゲームの練習で、日本のトップ中のトッププロボウラーと互角の勝負を演じた水野和敏さんから学ぶべき点は多いのではないでしょうか?

 前回のこのコラムで紹介した弟の水野成祐プロも話されていたように若手プロボウラーの皆さんは、たぶん

 「練習が全然足りない」

のです。

 「私などよりもっとすごいアマチュアボウラーの方はたくさんいると思うのに、今回は遠くまでありがとうございます」

 いえいえ、水野さん、あなたこそ“ミスターアマチュアボウラー”です!

 JR木更津駅まで車で送ってくださった水野和敏さんを目でお送りしながら、私は心の中でそうつぶやいていました。



四家 秀治 (よつや・ひではる)

元テレビ東京アナウンサ− 2011年7月からはフリ−。テレビ東京在職中は、ボウリングの実況を多数経験。東京運動記者クラブボウリング分科会代表幹事と、武部勤衆議院議員が会長であるボウリング評議会の理事を2011年3月まで務めた

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