四家秀治の「ナイス!ピンアクション」−15

 (提供:ベースボール・マガジン社)
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●足長おじさんと長谷川真実プロ

 4年に1度のスポーツの祭典、オリンピックロンドン大会、皆さん、寝不足じゃないですか?
 我々の悲願でもありますが、ボウリングがオリンピック競技に採用されるといいですね。
 さてさて、今月は、オリンピックとは何の関係もなく、こんな話です。

 「足長おじさんが現われなかったら今の私は、ないと思います」
 「えっ!?」
 「『あの子に、このお金でボウリング用具一式を買うように言ってくれ』と、名前も告げず、私のためにフロントに3万円預けていった人がいたんです。その場でなんとかお礼を言うことはできたのですが、すぐ去ってしまい、名前もわからないし…、ええ、今でも、もしお会いできたら改めてお礼を申し上げたい気持ちです。だから私はその人のことを足長おじさんと呼んでいます」
 “マシュマロスマイル”のキャッチコピーで人気のP☆リーガー長谷川真実プロは、まさにマシュマロのようなホワホワした微笑を浮かべて話してくれました。

 長谷川家は家族でボウリングをするのが大好きでした。
 行くのはいつも決まって自宅から一番近い東京都葛飾区金町にあるダイヤレーン(2007年に閉鎖)。もちろん、ハウスボール、ハウスシューズで楽しんでいました。
 冒頭の話は、たまたま家族ではなくお母さんと2人でダイヤレーンに行ったときの出来事。信じ難いようなほんとうの話です。

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 中学1年生のボウリング大好き少女、真実ちゃんはそのお金でマイシューズと12ポンドのマイボールを買いました。
 「当時の私はアベレージ150ぐらいだったと思います。用具がそろうとやはりもっと本格的にと思ってきて、ダイヤレーン所属の小山都代プロ(13期)の指導を受けるようになりました。すると、親もその気になってJBCへ! となり、葛飾区には支部がないため江東支部(東京都江東区)に入りました。支部の大会は江東区の蔵王ボウル(2002年閉鎖)で行われたのですが、大人の人が多く、私、人見知りなので馴染めなくて毎回泣きながら投げていました。でも、そこで、スキンヘッドの桜庭良弘プロ(37期)に出会えたんです。これは大きかったですね。今は大分に行かれましたが、当時、桜庭プロは蔵王ボウル近くのファミリーボウルにいらしたので、見ていただくことになりました。いわゆるメカテクなどを使うのではなく、素手で投げるように、とか、今の私のボウリングはこのときに基礎が出来上がった感じです。進学した高校は江東区にあったのですが、葛飾区の自宅→高校→ファミリーボウル→帰宅というサイクルは当時の私には時間的にもとてもハードで、いずれプロになる気だったので、高校は2年で辞めてしまいました」

(提供:ベースボール・マガジン社)
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 長谷川プロと話していると、言葉の端々から下町生まれらしいチャキチャキの江戸っ子娘=江戸っ娘とでも言ったらいいのか、心地よさ、さっぱりした性格を感じますが、この思い切った選択も、男性的な表現で許していただけるなら
 「オイラぁ、プロになるんでィ。高校はもう2年で卒業よぉ!」
といった心意気を感じます。
 ところが、高校を中退してまで受けたプロテストは、なんと、トータルで15ピン足らずに不合格。悔し涙に暮れましたが、その後1年間、国体東京代表(2年連続)に選ばれるなどJBCでもがんばりながら研鑽を積み、翌年、見事合格。37期生、長谷川真実プロが誕生しました。
 ただ、念願叶ったものの、彼女には、別の悩みがありました。
 それは――アトピー性皮膚炎です。
 肌の露出が多い女子プロ。腕、脚、膝の裏など、湿疹の痕が目立ち、P☆リーグに初出場のときも、肌を隠すために黒のコスチュームで全身を包んでいました。もちろん、小さい頃から病院の皮膚科に通い、薬を飲んだりもしました。長期的にどうすれば直るのか?といったアドバイスもいろいろな人から聞いたりしていたそうです。
 そのアドバイスの中に「水を多く摂取する」というのがありました。小さい頃から水分補給が苦手(水をあまり飲めない体質)だった彼女は、特にここ数年、一所懸命水分補給をするように心掛けたら、本人曰く「水を飲んだのがよかったのかどうかわかりませんが、いつの間にかよくなってきました」と言います。
 肌、確かにきれいです。おそらく、最近ファンになった方なら、長谷川プロがアトピー性皮膚炎で悩んでいたことなどわからないかもしれませんね。

 さて、肝心のボウリングですが、これが、お肌がスベスベになるのと正比例するかのように力をつけ、2009年にポイントランキング30位で初めて第2シード入りすると、2010年は、決勝ラウンドロビン進出2回、プリンスカップ3位入賞などで、ランキング18位で第1シードに。さらに、2011年はラウンドロビン進出3回、MKチャリティカップでは初めて1位で決勝ステップラダーに残って、決勝で吉田真由美プロ(31期)に敗れ準優勝などさらに上昇、ランキングは7位まで上がりました。
 そして、今年最初のトーナメントである4月の宮崎プロアマオープンでは、皆さんご存じのように、決勝で姫路麗プロ(33期)を下し、プロ入り9年目にして、見事初タイトルを獲得したのです。

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 ボウリングに関する限り、初優勝は、
 「鳴り物入りの○×プロ、期待通りの…」とか
 「彗星の如く現われた△▼プロ、鮮やかな…」
あるいは、逆に
 「▲×プロ、苦節◎◎年、悲願の…」
といった例が多く、
新米プロボウラーが次第に力をつけ、上位に顔を出すようになって、ラウンドロビンへ、ステップラダーへ、そして優勝へと、適度の年数を経て上り詰める長谷川プロのようなケースは、実はあまりありません。それだけに、しっかりと土台を作り、そこから実力を積み上げて得た栄冠ともいえるような気がします。
 今後、安定した強さを発揮するのではないでしょうか。

 「もともと、プロ入りしたときから、いいボウリングをしていたので、声をかけてはいました。それが、ちょっとしたきっかけで見るようになってね。指導を始めた頃は体が弱く、よく体調を崩して思ったような練習がなかなかできなかったのよ。彼女の長所は、小柄な身体(公称153cm)をとにかく目一杯使ってしっかり投げるところだから、それは変えないようにしました。でもボールの回転が足りなかったからピンが飛ばなかった。それを直させたのとイージーミスが多かったので、なくすよう徹底的に練習させました。不思議なもので、ミスが少なくなったら、1投目もピンがよく倒れるようになってね。でも…、うれしい。ほんとうによくがんばった…」
とは、
プロ入り4年目から長谷川プロを指導してきた現在の“師”かつての女王、杉本勝子プロ(4期=現JPBA副会長)です。

(提供:ベースボール・マガジン社)
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足長おじさんのおかげで始まった本格的なボウリング人生…

足長おじさ〜ん。
もしお元気でしたら、私もぜひお会いしたいです!
そのときは、ぜひ御一緒に
江戸っ娘長谷川プロの初優勝を江戸前のお寿司でもつまみながら
お祝いしましょう!!

四家 秀治 (よつや・ひではる)

四家 秀治 (よつや・ひではる)

元テレビ東京アナウンサ− 2011年7月からはフリ−。テレビ東京在職中は、ボウリングの実況を多数経験。東京運動記者クラブボウリング分科会代表幹事と、武部勤衆議院議員が会長であるボウリング評議会の理事を2011年3月まで務めた

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