四家秀治の「ナイス!ピンアクション」−17

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●どっこい《大山由里香は生きていた》

 8月の終わり。残暑厳しい愛知県の稲沢グランドボウルがさらなる熱気に包まれました。
 その主役は大山由里香プロ(JPBA29期)
 独特の投球フォームから繰り出される威力あるボールでプロ入り4年目の1999年、全日本選手権を25才で制し、美人プロとして一躍スターボウラーの仲間入りをした彼女は、絶大なる人気を誇りました・・・と、過去形にしてしまったのは、P☆リーグ初代メンバーでもある大山プロ、決して若くないわけではありませんが、さらなる若手の、実力もある人気女子ボウラーが次々に登場しP☆リーグを席捲するようになって、このところの女子ボウリング界全体から彼女は忘れられた存在になりつつあったからです。
 ところがどっこい“大山由里香は生きて”いました。
 冒頭でご紹介したのは2012 中日杯東海女子オープン決勝でのこと、ここで歴史的な大熱戦の末、10年ぶりの優勝を飾ったのです。

 今年の東海女子オープンは、競技の方式が変わりました。
 まず、予選10ゲームは、準決勝に進む上位48名を決めるための戦い。次に準決勝は、予選の順位に応じて、3名ずつ16組に分け、予選のトータルピンは関係なく4ゲームのトータルだけによるシュートアウトで各組1位の選手を決めます。こうして勝ち上がった16人をまた4つの組に分け(これは抽選)、総当りのグループラウンドロビンを行い、各組1位の4人だけが決勝進出という方式でした。決勝は、まず4人で1ゲーム、上位2人が最後に1ゲームを戦って優勝を決めるというもの。つまり「トータルピンを次の段階に持ち越さない」のが特徴で、予選で1位でも準決勝でのアドバンテージはほとんどありませんし、準決勝でどんなに打ってもグループラウンドロビンはまたゼロからの戦いなのです。

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 大山プロは予選32位で準決勝進出を決め、大会1日目を終了。
 「いつもなら、32位では正直なところ順位を一つでも上げようぐらいの気持ちにしかならないですが『予選は関係ないやん。準決勝は、また一からのスタートや』と思って、2日目はなんだかとても集中していましたね」のコメント通り、準決勝4ゲームでは、同組で予選1位の中島政江プロ(JPBA24期)を圧倒。トータルで150ピン近い差をつけ、全体でもトップの915ピンでグループラウンドロビンへ!ここでも1敗はしたものの同組の吉田真由美プロ(JPBA31期)に80ポイントの差をつけ、堂々1位。決勝進出を決めました。
 決勝の相手は板倉奈智美プロ(JPBA36期)、松永裕美プロ(JPBA37期)、西村美紀プロ(JPBA38期)。ちなみに4人の中では大山プロがプロでのキャリアも年齢も一番上です。
 勢いの止まらない大山プロはここでも247をたたき出し1位、237で2位の松永裕美プロとの優勝決定戦は同ピンの201(これについては後述します)となって、勝負は大会規定によりワンショットプレーオフにもつれ込んだのです。
 歴史的な大熱戦はここから始まりました。

 投球順は、1位で優勝決定戦に進出した大山プロに選択権がありました。
 「先投げを選びました。裕美ちゃん(松永プロ)が私の立場でもきっとそうしたと思いますよ。ストライクを出すことだけに集中すればいいですからね」と話す大山プロ。見事なストライクで機先を制します。しかし、松永プロもストライクで応戦です。
 「裕美ちゃんがすごく強いのはわかっていましたが、それを意識することはなかったですね。私はただ、自分がストライクを出すこと、裕美ちゃんが投げる前から次もストライクを出すことだけ考えていました」
 大山プロ、極めて冷静です。
 でも、まさか、これが3回繰り返されることになるとは・・・。
 松永プロが投げる前から心身ともに次の投球の準備をし、しっかりプレッシャーをかけ続けた大山プロの集中力はすばらしいの一言です。しかし、最終的に敗れたとはいえ、さすがは昨年のランキング1位、新女王の呼び声高い松永プロ。ストライクを出さなければ敗れる状況で3度もストライクを出して粘った強い精神力も賞賛に値します。4投目、またもやストライクを出した大山プロに対して松永プロのボールが厚めに入って4番ピンが残り、大歓声とどよめきの中、ついに決着。JPBAの記録に残っている中では史上最長のワンショットプレーオフ4回という、おそらく後世に永く語り継がれるであろう短くも濃密な戦いに終止符が打たれたのです。
 「10年ぶりということもありますが、今までの優勝の中で一番うれしいですね。でも、皆さん『おめでとう!』より『すごい戦いだったんだってね』のほうが先なんです。だから、私、後からすごいことしたんかな?なんて思ったりしてます」
 今まで「精神的に弱い」という評価が多かった大山プロだけに、この優勝には私も頭が下がります。

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 では、優勝決定戦についても改めて簡単に振り返ってみましょう。
 序盤は、ともに1回ずつスプリットからオープンフレームを作りました。その後は立ち直り、息詰まるような争い、大山プロがほぼワンマークのリードで10フレ勝負。ところが9フレまでターキーの大山プロ10フレ1投目は、薄めにいってしまい2,4,6,10ピンを残すスプリット。6本のカウントダウンも応えました。一方の松永プロは、9フレに続いて10フレ1投目もストライクで、逆に断然有利。大山プロがスプリットをカバーしても、10フレ2投目がストライクならもちろん、9本カウントでも松永プロほぼ優勝という状況になりましたが、松永プロの10フレ2投目は6,10ピン残りの8本カウント。大山プロがプレッシャーの中、スプリットをカバーし、最後もストライクで締め、松永プロも慎重にこの2本をカバーして同ピンとなったのです。
 大山プロが9フレまでの勢いのまま、10フレもストライク、または8本か9本倒すような展開になっていれば栄冠はあっさり大山プロのものだったかもしれませんし、大山プロスプリット後の松永プロも10フレ2投目に9本以上倒せばそのまま勝っていた可能性が高かったわけで、ほんとうにボウリングの神様は気まぐれ。ちょっと演出過剰ですね。

 2006年、大阪のボウルメート京橋が突如閉鎖となり、所属していた4人のプロボウラー、大山プロ、西村了プロ(JPBA28期)、永井達也プロ(JPBA37期)、猪口亜紀プロ(JPBA30期)は解雇、訴訟問題にまで発展しました。その傍らで、所属センターを探すため西村プロが先頭に立って、4人は必死に自らを売り込み、ようやく決まったのが兵庫県尼崎市にあるタイヨーパークレーンでした。その間も訴訟は長引いていましたが、なんとか勝訴に持ち込み、現在、4人のプロはそれぞれタイヨーパークレーン役員の立場で働いています。大山プロは副社長、多くは語りませんが、ここに至るまでの苦労はかなりのものがあったことでしょう。大山プロ自身の精神面の成長もここ数年の過程があったからなのかもしれません。

 「今回の勝因ですか?細かいことは言えませんが、実は大会の10日ほど前に、周囲の環境が整ったんです。だからすごくいい精神状態で大会に臨めました。大会2日目は自分でも集中できたなと思いましたが、西村プロから、後日『2日目、会場に向かうとき、何かきょうは違う思たでぇ』と言われましたから、私、何か発していたのかもしれないですね。技術的には、別に変わったところはないと思います。そうそう、このところ、2kgほど体重を増やしたんです。理想の体重ってあるみたいで、投げていて安定感がありましたね。でも、ふと鏡を見ると、私、オバサンになったなあと感じますよぉ」
 いえいえ、気取ったところも飾りっ気もほとんど感じられない話しっぷりが大山プロの最大の魅力。今も実力派美人ボウラーに変わりはない!と、私は断言します。
 精神面も強くなってトーナメントの歴史に名を留めた大山プロ、次の優勝は間違っても10年も先ではないでしょう。

四家 秀治 (よつや・ひではる)

四家 秀治 (よつや・ひではる)

元テレビ東京アナウンサ− 2011年7月からはフリ−。テレビ東京在職中は、ボウリングの実況を多数経験。東京運動記者クラブボウリング分科会代表幹事と、武部勤衆議院議員が会長であるボウリング評議会の理事を2011年3月まで務めた

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