四家秀治の「ナイス!ピンアクション」−38

 吉川朋絵プロ(提供:JPBA)
吉川朋絵プロ(提供:JPBA)
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●吉川朋絵プロが、好調です。

 吉川朋絵プロ(JPBA38期)が、好調です。

 全日本選手権を含め、2勝を挙げ、一躍注目されたのが
今から4年前の2010年でした。その勝ち方がまたハンパではなかったのも
強烈な印象でした。
 初優勝のフィランスロピー杯も2勝目の全日本も予選からトップに立ち
そのまま逃げ切る文字通りの完勝。
この2010年は、年間ポイントランキングこそ3位でしたが、当時、私は訳知り顔に
「今年は結局吉川朋絵プロの年だったよね。姫路プロや松永プロなどと
これからしのぎを削るような戦いが始まるのかな?来年以降が楽しみ!」
な〜んて言っていたのを覚えているのですが(偉そうに・・・、すみません)、
翌年からは、また、時折上位に顔は出すものの、地味な存在になってしまいましたので、
正直のところ、私はやや肩透かしを食わされてしまったような感じを抱いていました。
しかし、今年はここまで、宮崎プロアマオープン、グリコセブンティーンアイス杯と、
公式戦2勝。しかも宮崎では4年前を思い起こさせるような
予選からトップ快走、
ブロックラウンドロビンも全勝
そのままぶっちぎっての優勝
ですし、
札幌(グリコセンブンティーンアイス杯)でも終始トップ争いを演じ、
4人で争われた決勝シュートアウトからはやはりトップを2回続ける
危なげのない勝利でした。

 南と北でその存在感を存分に示した吉川プロ。
 ほんとうに、勝つときは、いつも他選手がグウの音も出ないほどの
文句のつけようのない勝ち方です。

吉川朋絵プロ(提供:JPBA)
吉川朋絵プロ(提供:JPBA)

「そうですね。私、アマチュアの頃から後半上がってきて
逆転して勝つというようなパターンはありませんでした。勝つときは最初から
飛ばして逃げ切るタイプだと思います」
と吉川プロ。確かに3連勝を狙った千葉女子オープンは、
予選前半、大きく出遅れながら後半追い上げ予選終了時は11位まで上がって
決勝ラウンドロビン進出の8位も射程圏か!?と思われましたが、準決勝で失速、
結局19位でした。
「千葉女子オープンはずーっとしっくりいっていない感じでした。予選後半
打ったときも全然納得のいく内容ではありません」だそうで、
勝てるコンディションではなかったのでしょうが、
追い上げるのもどうやら苦手なようです。

 さて、そんな吉川プロですが、私が肩透かしを食わされたと感じた
2011年からの3年間、どうしていたのでしょう?
「やはり、早く3勝目が欲しいと力んでいましたね。
そうするとなぜ勝てないのか?という気持ちにもなってきます。そこで、昨年、
フォーム改造にとりかかったら、今まで使っていた筋肉と違う筋肉に
負担がかかってしまったのでしょう。5月に右太ももの内転筋を痛めてしまいました。
今も完治はしていませんが、その痛みを和らげることに繋がったのが、
助走を5歩から7歩にしたことでした。歩幅が狭くなるので痛めている内転筋への負担が
明らかに少なくなるのがわかりました。この7歩助走が自分になじんできたなあ
と感じたのは11月のジャパンオープンぐらいからですかねえ(ジャパンオープンは9位)」 
 ポイントランキングを見ますと2011年は16位ですが、2012年は28位と
第1シードから陥落、もがいていた様子が目に見えるようです。
 そうして昨年はジャパンオープン以降、全日本は14位、
プリンスカップは決勝トーナメント3回戦で敗れましたが、予選Aシフトでは3位と
いずれもまずまずの内容で、年間ポイントランキングは14位。
第1シード入りを果たしていました。復活の兆しはあったのです。

 吉川プロは155cmと小柄ですし、決して爆発的な破壊力を感じさせるようなボールを
投げるわけでもありません。しかし、しっかりピンを倒すボールとでも言ったらいいので
しょうか。ゆったりとした投球フォームから実に魅力的なボウリングを見せてくれます。

吉川朋絵プロ(提供:JPBA)
吉川朋絵プロ(提供:JPBA)

 ところで、吉川プロのお母様は、神奈川県アマチュアボウリング界で知らない人は
いないと言ってもいい真弓さんです。
 4年前、吉川プロが2勝した年、真弓さんも千葉国体で神奈川県の
成年女子団体優勝メンバーの一人でしたし、以前は、後にJBCのエースに
なり、プロ入り後もJPBAやLBOで活躍する
清水弘子選手や土屋佑佳選手などとともに神奈川県チームで戦っていたという
正にアマチュア界の大きな存在です。

 「母は、ボウラーとしても人間としても尊敬しています。母は物事の割り切りが早いというか、白黒がはっきりしていて、簡単に言うとさっぱりした性格で、私もああなれたらいいなあ、と思うんですが・・・、なかなかなれません。それにきっと私にボウリングをやらせたかっただろうと思うんですが、そんな素振りを見せたことはありません。それも私にとってはよかったですね」
 吉川プロは小さい頃はゲームにハマる女の子でした。そのうちなんとなくボウリングを始めたそうなのですが、中学1年の頃、イヤになって一旦完全に辞めてしまいました。
ところが、進学した高校がなんと!後のボウリングの名門釜利谷高校でした。
「あの頃は将来パソコンの仕事がやりたくて釜利谷高校に進んだのですが、
ちょうどボウリング部ができたんです。同期にはやはりプロ入りした
高坂麻衣(JBCでも活躍、後にLBOへ)もいましたし、山本勲プロは1年先輩です」
 一旦は辞めていたボウリング、高校進学を前に再開はしていたもののパソコンの仕事で
将来身を立てたいと考えていた朋絵ちゃんにとってこれは大きな事件でした。
 母から受け継いだDNAもあります。もはや本格的にボウリングをやらない理由など
ありません。こうして釜利谷高校ボウリング部の歴史の第一歩を記すボウラーの一人に
名を連ねることになりました。
ただ、それだけでなく、その年の暮れ、いきなり団体戦の高校対抗で
初出場初優勝メンバ−の一人になってしまうところが彼女のすごいところ。
さらに2年後の3年時には高校チャンピオン(2位は高坂麻衣)、
才能は一気に開花するわけです。

吉川朋絵プロ(提供:JPBA)
吉川朋絵プロ(提供:JPBA)

 では、プロになるきっかけはなんだったんでしょう?
「女子プロの新人戦でJBCの頃から見てきた柴田知美プロ(後にLBOへ)のボウリングを久々に見る機会がありました。そうしたら、一言で言えばJBCの頃とはボウリングに対するアプローチの仕方が随分変わっているのがわかったんです。ちょうど私自身、伸び悩んでいた頃でもありました。私のボウリングを進化させるにはプロ入りしかないかな、と思って」
 こうして2005年にプロ入りの運びになりました。
 結果的にプロ入り同期となる清水弘子選手とも(お母さんだけでなく)
アマチュア時代に一緒に行動していた時期があるそうで、
彼女の存在も吉川プロにとって大きかったことは間違いありません。
 しかし、プロ入りしてから5年間は全くと言っていいほど目立ちませんでした。
 プロに入っても伸び悩んでしまったのです。
 6年目、(今年初戦で優勝を飾った)宮崎プロアマオープンで準優勝した頃からメキメキ頭角を現してきたわけですが
 「あの頃は無我夢中でした」
 と吉川プロは当時を振り返ります。この5年は、かつて吉川プロ自身が感じた
柴田知美プロの進化の過程のような時間だったのではないでしょうか?
じっくり時間をかけて身につけた進化が一気に結果となって現われたのです。

 『誰に強制されたわけでもなく自らの意志でボウリングを始め、強くなりたい一心で段階を踏んでしっかり前進してきた』
吉川プロの歴史が垣間見えるようで、なんだか、カッコいいなあと思う私です。

 そうして、さらなる苦悩の時間を経て始まった今年の活躍、吉川朋絵プロの第2章が幕を開けたのかもしれません。

四家 秀治 (よつや・ひではる)

四家 秀治 (よつや・ひではる)

元テレビ東京アナウンサ− 2011年7月からはフリ−。テレビ東京在職中は、ボウリングの実況を多数経験。東京運動記者クラブボウリング分科会代表幹事と、武部勤衆議院議員が会長であるボウリング評議会の理事を2011年3月まで務めた

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