四家秀治の「ナイス!ピンアクション」−41

 桑藤美樹プロ(提供:JPBA)
桑藤美樹プロ(提供:JPBA)
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●六甲クィーンズ初優勝のレフティ桑藤美樹プロ

 アジア大会が終わりました。原稿締め切りの関係で詳細については来月以降に触れさせていただきます。
 ということで、今月はこの方に登場していただきました。

 ノーブルな顔立ちとひときわ華やかな笑顔で新人の頃から注目を集めていた
レフティの桑藤美樹プロ(JPBA45期)です。
プロ入り3年目の今年、一気に開花、六甲クィーンズで初優勝を飾っただけでなく、
レディース新人戦9位、MKチャリティーカップでも4位になり、
一時はポイントランキングトップに躍り出ました。(現在は2位)
 一体、彼女の中で何が起こったのでしょう?
「実は、5月のグリコセブンティーンアイス杯のときのほうが調子は良かったんです。
でも、決勝シュートアウトで私が投げるときタイミング悪く2回マシントラブルがあって、
リズムが狂ってしまったんです。(結果は4位)
その反省が六甲の決勝ステップラダーでは活きたと思います。
私がアプローチに立ったとき、ギャラリーの方が目の前で動いたことがあったんですが、
ボールを戻して集中を高め直してしっかりストライクを出しましたから」
と快心の笑顔で語ってくれました。
・・・でもこれは精神面についてです。
 技術的にはどうだったのでしょう?
「私の腕って肘から先が外に曲がって伸びているんです。だから自分ではバックスイングを真っ直ぐにしている感じでも
後ろから見るとボールを担ぐような投げ方に見えるから直したほうがいいと言われてきたんです。
でも言われたとおりにすると、脇が開いている感じでどうもしっくりこない・・・。
肘から先は外に曲がっているのでリリースのときボールが身体からかなり離れたところにいってしまいますから。
それでなんと言われようと脇を意識して締めて投げるようにしてやっと安定したんです。
そう、まだまだ一杯直すところはあると思いますが、人からなんと言われようと、最近はブレなくなりましたね。
とりあえず今、レーンコンディションにはアジャストしやすいという実感がありますし」
と、シンプルにして非常に論理的に技術についても語ってくれました。
「ただ、私、師がいなくなってしまったんです。プロ入り前、梅田寿雄プロ(2011年死去)には本当に一つずつ技術を教えていただきました。残念です」
梅田プロの話になると急激にトーンダウン、やはり寂しさはぬぐい得ないという口調になりました。

桑藤美樹プロ(提供:JPBA)
桑藤美樹プロ(提供:JPBA)

 中学時代、3年間ソフトボールに全力を傾けたという桑藤プロ。チームのエースピッチャーでした。
ボウリング以外で本格的にスポーツをやったのはこの3年間だけだったそうですが、
その後もときどきソフトボールの試合があるとき、メンバーが足りないからと借り出されたりしたということで、
ボウリングと同じ下手投げでも桑藤プロの投げ方は、
ボールの重みを活かして振り子の原理で投げるボウリング投法ではなく、
いわゆる“力投げ”が身体に染み付いていました。
 ボウリングを本格的に始めたのも27歳と決して早くはありませんでした。
医療事務関係の仕事をしていたとき、仲間と一緒に近所のボウリング場に行ったのがきっかけだそうです。
それまで団体競技(ソフトボール)しかやっていなかったので、個人の実力だけで勝負できることに魅力を感じ、
すぐに1980円のキャンペーンボール(11ポンド)を買い、中指と人差し指を第2関節まで入れる位置で穴を開けて
ボウリングに興じるところから彼女のボウリング人生が本格的にスタートしました。
でも、嵌ってしまったからにはそのままで終わるはずがありません。
「どうせやるなら団体に入ったほうがいいよ」という勧めにしたがって、
埼玉県の大宮に住んでいながらNBF(日本ボウラーズ連盟)東京に所属。
東京・池袋のハタボウリングセンター(2011年閉鎖)に通うようになって
そこで前述の梅田プロに師事する運びとなるわけです。
「力投げだとどうしてもクロスに行ってしまうのでそれを徹底的に直すところから始めていただきました。
レーンの例えば7枚目あたりにファウルラインからまっすぐに紐を置いて
レーンの中程でその投げ方をチェックするために梅田プロが立っているんです。
まっすぐに投げられるまで、次のステップには行けません。
つまりそれができないと他は何も教えてくれないんです。
ハタは、大会でも行われていない限りはレーン数も多いですから、
このような練習をしてもセンターに迷惑がかからない環境だったのは大きかったと思います。
梅田プロはアドバイスも簡潔にして的確で、正に私の師でした」
こうして上達の早かった桑藤さんは、すぐにNBFの大会で上位に顔を出し始めます。
そして本格的に始めて3年ほどが経過した2010年にはラウンドワンカップレディースのベストアマ(総合31位)に輝くまでになるのです。
ところが・・・、この頃の彼女の悩みは、大会には出たいが、出るための参加費、旅費、宿泊費は
バカにならない。(例えばこの年のラウンドワンカップレディースは大阪での開催)
でも、ボウリングは続けたい・・・、どうしよう。というものでした。
 答えは決まっています。
「ボウリングで生計を立てる」
 つまりプロになることでした。
 もちろん、梅田プロに相談し、賛成もしてくれたのですが、
翌年梅田プロが亡くなり、推薦してくださる人を探さなければならなくなりました。
その願いに応えてくれたのが半井清プロ(JPBA10期)と佐藤由美子プロ(JPBA27期)でした。
「よし、来年1回だけの勝負。もしダメだったら諦めようと思って2011年の11月頃から猛烈に練習しましたね」
 当時の心境を語るときの桑藤プロの言葉には力がこもります。
 そうして合格した桑藤プロ。直後の六甲クィーンズでいきなり決勝ラウンドロビンに進出、6位入賞を果たします。
「あれがいけなかったですね。甘く考えてしまいました。そりゃあプロテスト前は、
ものすごい勢いで投げ込んでいますから、六甲の頃は調子がよくて当たり前なんです。
私の実力は、まだまだとても優勝を争えるようなものではありませんでした」
 2年目、「このままではとても戦えない」と気づき、投球フォームをいじりすぎて、ますますおかしくなってしまいます。
ビデオなどでも自分の投球フォームをチェックして随分いろいろやり、そこから脱却できたのは秋に入ってからだそうです。
それでも成績は安定せず、MKチャリティーで9位に入ったかと思うと、
そのあとは東海女子も、ラウンドワンカップレディースも、ジャパンオープンもあっという間に敗退。
全日本もいいところがありませんでした。
 最終戦のプリンスカップでようやくベスト8に進出。
 こうしてなんとかBシード(ポイントランク26位)でプロ3年目のシーズンを迎えたわけです。

桑藤美樹プロ(提供:JPBA)
桑藤美樹プロ(提供:JPBA)

「技術的には、ひと頃のような迷いがなくなったのになぜ成績が安定しないのか?考えました。
そうして出した一つの答えが『今回はラウンドロビンに残ろう!』とか『決勝ステップラダーまで行きたい!』
というような相対的な順位目標で大会に臨むのではなく
『アベ220を維持することだけ考えよう』
というような絶対的な数値目標を立てて大会に臨むことでした。それがよかったようです。
だから、私、ほんとうに他人のスコアは見ないで自分のスコアメイクだけ考えてますね」
と桑藤プロ。

 う〜む、それで好成績だとすると、私の日頃からの主張
「スコアを見ないで大会に臨むのは理解できない」
は正しくないということになってしまいますが、
「自分のスコアは見る」のですから、半分だけは正しいと言うべきでしょうか。

 まあ、私の主張はともかく、それに加えて、桑藤プロの調子がいいのは最初のところでもご自身で話していたように、
アプローチで慌てない、落ち着いて投げることを心がけたから・・・。これは間違いありません。
 「ほんとうに六甲では優勝できてよかった。母は、私がプロボウラーになることに反対はしませんでしたが
『優勝できなければJPBAのワッペンなんて返しちゃいなさい!』というタイプの人。
バレーボールを本格的にやっていたスポーツウーマンなので、甘えは許さないんです。
もちろん(六甲の優勝を)心から喜んでくれました」
 このとき、決勝の相手はアマチュアの松本君代選手、同じレフティでした。
「左は少ないので、対戦相手が左というのは一般的に皆、慣れていないから嫌なんです。
彼女も嫌がっていました。でも、実は私、プロになったらすぐに「ひだりいず」の代表になってしまい(ひだりいずはレフティのためのクラブで埼玉を中心に活動、
桑藤プロの前は 津野泰治プロ−JPBA23期−が代表だったのですが、
津野プロがライセンスを返上してお鉢が回ってきたのです)
今も2ヶ月に1回レフティだけの大会を開いて慣れているので左が対戦相手でも苦になりません。
その精神的な有利さは大きかったと思います。無論、プロがアマに負けるわけにはいかないというプレッシャーはありましたが」
初優勝のことになると話も弾みます。そして、そこには外見の華やかな雰囲気とは別の“プロとして大成する!”
という強い意志が感じられます。初優勝といったって、まだスタートラインに立ったばかり、というような・・・。

 3年目でも35歳、若くないといえば若くない桑藤プロですが、ボウリング歴はまだ7年ほど、
もちろん伸びしろが十分にあることだけは間違いありません。
2年前、このコラムに登場してもらったこのところやや不振の、年齢は桑藤プロより若くても
プロでは1期先輩にあたる小林あゆみプロとともに
レフティのカッコよさをこれからもどんどん見せてもらいましょう!

桑藤美樹プロ(提供:JPBA)
桑藤美樹プロ(提供:JPBA)

四家 秀治 (よつや・ひではる)

四家 秀治 (よつや・ひではる)

元テレビ東京アナウンサ− 2011年7月からはフリ−。テレビ東京在職中は、ボウリングの実況を多数経験。東京運動記者クラブボウリング分科会代表幹事と、武部勤衆議院議員が会長であるボウリング評議会の理事を2011年3月まで務めた

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