四家秀治の「ナイス!ピンアクション」−59

 3冠の川添将太プロ、(2015.1月/提供:ボウリング・マガジン)
3冠の川添将太プロ
(2015.1月/提供:ボウリング・マガジン)
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●女子プロ人気依存からの脱却に期待する

 熊本で大きな地震…。
 5年前の東日本大震災とはまた違った悲惨な光景が
連日テレビから放映されるのを見るといたたまれない気持ちになります。
 この地震の影響で、2ヵ月前話題にさせていただいた宮崎プロアマオープンも
9月に延期になってしまいました。
 とにかく一日も早い復興を祈ることしか私にはできません。

 ところで今年はオリンピックイヤーだというのに野球界に続いてバドミントン界から
悲しいニュースが伝わってきました。
 とても残念です。

 1970年代初頭、中山律子現IPBA名誉会長を筆頭とする
人気女子プロボウラーの登場とともに驚異的な人気を博するようになった
いわゆるボウリングブームについては今までも何度か触れてきましたが、
このとき、日本スポーツ界にはもう一人中山さんというヒロインがいました。

日本バトミントン協会理事の中山紀子さん(左)から花束を受けるIOC評価委員会のリーディー委員長
日本バトミントン協会理事の中山紀子さん(左)から
花束を受けるIOC評価委員会のリーディー委員長


 中山紀子さん(現在は日本バドミントン協会倫理委員)です。
 この頃、日本の女子バドミントンは個人、団体ともに世界の頂点に君臨
していましたが、中山さんはその中心人物でした。
 この時代、中山さんとともに日本の2大エースだったのが2011年に亡くなった
歌手新沼謙治さんの奥様としても知られた湯木博恵さんですが、
私は当時、中山さんの躍動感あふれるプレーを偶然テレビで観て、そのカッコよさに
魅入ってしまい、一気に中山さんのファンになりました。
 中山紀子さんはこの時代の日本スポーツ界においては
大変珍しい(ほとんど唯一といってもいいかもしれません)
ミセスプレーヤーであったのも、私を惹きつけました。
 理解のあるご主人がいて、プレーもカッコよくて…
「なんてすばらしいんだろう」などとまだ中学生だった私は思っていたものです。
 スポーツ観戦大好きな子供だった私が最初にあこがれた女子スポーツ選手が中山紀子さんでした。

岐阜県代表ペア
岐阜県代表ペア

 数年前、バドミントンの取材の席で偶然、中山さんに初めてお会いしたときには
思わず舞い上がってしまったことが思い出されます。
 中山さん引退後、10年近く経ってから創刊されたバドミントンマガジン(ベースボールマガジン社)は、
創刊号から「中山紀子物語」という連載記事があり、私は「中山紀子物語」が終わるまで買い続けたものです。
そのバドミントンマガジン創刊号の表紙を飾ったのが当時日本のエースで、
今、巷で話題のバドミントン界の一人である田児賢一選手の母、米倉よし子さんでした。
米倉選手も結婚後もご主人の田児淳一さんとともにプレーを続け、長く日本のバドミントン界を支えた方でした。

姫路麗プロ(提供:JPBA)
姫路麗プロ(提供:JPBA)

 さて、私は何が言いたいのかと申しますと、バドミントンもプロボウリングも
長年、引っ張ってきたのは男子には失礼ながら女子だったということです。
 バドミントンの女子は私があこがれた中山紀子さんの時代に
相沢マチ子さん、竹中悦子さんという全英オープンを2回も制した
ハッキリ申し上げてオグシオの比ではない最美にして最強のペアがいましたし、
その後もバドミントン界は強くて美しい女子選手が目白押し。
 ひるがえってプロボウリング界も人気が低迷してからも一般に注目されるのは常に女子プロでした。
 「ボウリング人気復興につながれば」という某日本テレビプロデューサーの熱き思いで始まった
P★リーグは放送開始から丸10年。
ボウリング界はそのP★リーグからの発展形をあまり考えているとは思えませんが、
とにかく女子プロ人気依存が続いていることだけは間違いありません。

姫路麗プロ(提供:JPBA)
姫路麗プロ(提供:JPBA)

 ところが、バドミントンもプロボウリングも男子に気合いの入っている選手がほぼ同時期に出現しました。
それがバドミントン界では田児賢一選手でありプロボウリング界では川添奨太でした。
 田児選手は2010年、全英オープン準優勝。田児選手はテニスの錦織選手と同年代で、
この頃、ある記者会見会場で「錦織をどう思うか?」という質問に対しきっぱりと
「私はバドミントンが一番のスポーツだと思っているので意識したことはありません」と発言、
若き日本バドミントン界エースとしてのその態度には威厳さえ感じられたものです。
そして
「バドミントンには男子もいるんだぞ」と主張しているようでした。
その田児選手に今回の騒動のもう一人の主役である
桃田賢斗選手が憧れたというのもとても自然なことだと思います。

一方その2010年にプロ入りした川添奨太はその年のジャパンオープン決勝ダブルイルミーションで
連続パーフェクトという離れ業を演じ優勝しました。
彼も常々「世界」を口にし、事実今年も挑戦を続けています。
「世界で活躍して男子ボウラーの存在を示したい」そんな気概がありありです。

田児選手と同じ1989年生まれの川添の誕生日は1月なので
厳密には川添のほうが学年では1つ年上ですが、このあたりに私は年代の偶然性を感じていました。
 錦織、田児、川添……世界を目指す世代というような――。

 しかし、田児はどこかで方向を間違えてしまいました。
 それが残念でなりません。

 今年、川添はきっと海外で結果を残してくれると私は春先から期待しています。
この気持ちは彼とともに海外でチャレンジしている男子プロすべてに共通しています。

長く女子依存型だったバドミントン界とプロボウリング界、

バドミントン界は、ただただ残念(それでもリオデジャネイロオリンピックが迫っています。選手にはがんばってほしい!)ですが、
プロボウリング界に、そこから脱却する日がくるのを心待ちにしている私です。

四家 秀治 (よつや・ひではる)

四家 秀治 (よつや・ひではる)

元テレビ東京アナウンサ− 2011年7月からはフリ−。テレビ東京在職中は、ボウリングの実況を多数経験。東京運動記者クラブボウリング分科会代表幹事と、武部勤衆議院議員が会長であるボウリング評議会の理事を2011年3月まで務めた

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